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こんな世の中でオイラが未だ詩を書く理由

「オイラはこーいうものを追い求めて詩を書いているよ」という話をします。

今日はほんとーにみんなの役には立たない話です。


オイラは趣味で詩を書いています。これは完全に趣味で、誰にも見てもらっていないし、それでも全く問題ないと思っています。

(一部はここに置いてます。→ 「イオリンの何か」 )

普段、仕事や問題について考える時には、「事実と思い込みを混ぜるな」「主観は好き嫌いでしかないから」とかよく言っているので、そーいう客観的姿勢と「詩を書く」ということは一見すると相反しているように見えるかもしれません。詩を書くというのは、「主観的なモノをどう向き合うか」という行動だからです。


でも、オイラは別に「主観は無価値だから」という理由で、「それって主観じゃん」とか言っているわけではないのですよ。むしろ「オイラはどう感じるか」「人はどう受け止めるか」というところには無限の可能性があると思っています。オイラほど「主観」と向き合って対話している人はなかなかいないとすら思います。

じゃあなんで普段仕事とかで「主観」よりも「客観」、「思い込み」よりも「事実」を重視するかというと、「主観ではこのパズルは解けないし邪魔だから」です。

たとえば、「どうすれば社員の満足度あがるかな」と考えるときとかに、「俺はこうされると嬉しいからきっとみんなも喜ぶ」みたいな主観を押し付けても解決しないのですよ。そうじゃなくて、「他の企業ではこーいう施策をしたらXX%満足度が向上したので、うちでもやって満足度も計測しよう」みたいな、事実から論理を組み立てないと解決しないのですよ。

世の中で言われる「課題解決」とか「問題解決」とかでは、大抵「主観」は邪魔なのですよ。それはもう歴史が証明しています。

(他記事でも書いた。→ 「思い込みを事実だと誤認してしまうことを人類は何千・何万年かけてやってきた。」)

だから、普段の課題解決の場では「主観」を排しているのです。無駄だから。


「じゃあ人生において主観って無駄なの?」と言われると答えはNoで。むしろ、主観と向き合い、主観的なものを作る、というのは今後どんどん重要になってくると思います。なぜなら、「客観性」で言えば人間よりも機械のほうが強いからです。

人類史において、機械の知能が人間に打ち勝つ場面はどんどん増えていきます。そしてそれは、「主観が混ざらない場」から発生していくのですよ。

オセロや囲碁の世界では、すでに機械が人間を負かしています。これは、機械が仮想世界のなかで人知を超えた回数の「勝負」を行い、「こうすれば勝った」という事実をかき集めていたからです。相手の布石に対して「このパターンはこうしたら勝ったよね」という「事実」をもとに自分の布石を決めて、それで勝利しているのです。

このように、「より多くの事実をかき集めたほうが勝つ」世界では、人間は勝てないのですよ。人間の脳の記憶容量はおおよそ1GBくらいである、という試算もあり、単純な記憶容量で行っても人間が機械には勝てないです。それに、事実のかき集める速度も機械のほうが強いです(読書スピードとか考えれば明らかですね)。

なので、「事実ベース」「仮説検証ベース」は、今でこそ大きな価値がありますが、将来においては価値が暴落する可能性が高いです。(計算速度とかも関与するので、オイラが生きているうちはだいじょうぶかもですが。)

そーなると、主観がとても大きな価値を持つような気がしています。


言い換えるならば、「正解は機械が提示する世界で、僕たち私たちはどう生きるのか」という話とも言えるかもしれません。

機械がこのまま賢くなると、機械が個々人の行動を集めて、「イオリンさんは今この映画を見たいんじゃないですか」とか「イオリンさんが今見たい映画を自動生成しました」とか提示してくる世界もあり得るのですよ。今すでにAmazonやFacebook、twitterなどは、ユーザが得たいものを推薦してきますよね。それが進めば、「正解は機械が提示してくれる世界」は十分あり得ると思います。

特に中国なんかは、各々の企業や国がデータを集めまくり、それらを交換しあって質のいいものを提供する、というのができちゃう国です。そしてその技術が確立したら絶対世界中で売れるので、他の国々にも伝播していく可能性も高いです。

そんな世界になると、最後に残るのは「我思う、ゆえに我あり」に近い概念になると思うのですよ。つまりは、「オイラがどう感じるか、どう思うかは、機械には奪わせない」という世界ですね。そしてそれは「【どう感じるか】と向き合う世界」になるわけです。


だから、オイラは「自分がどう感じるか」ということは重視するし、その「感じたこと」を表現することもとても好きだし、なんというか、尊いものだなあ、と思っています。

オイラが感じていること、まだ言葉にもなっていないようなものが「詩」であったり「絵」であったり「音」であったり、そーいうものを通して誰かに伝われば、それはとても人間らしい、オイラにしか持ち得ないモノ、オイラにしか創れない空間になるなあ、と思うのです。

だからオイラは詩を書いています。