モテようと考えることは別に悪くないよ、ってハナシ。
まいど。いおりんでござい。実は1週間後くらいに引っ越しを控えているんだけど、部屋の荷物整理の進捗が2%くらいです。
「←ズイショ→」さんのブログを見て、「すべてはモテるためである」という本を読みました。
参考: 『すべてはモテるためである』感想文 – ←ズイショ→
この本は恋愛指南書の中では名作らしい。普段、こういう本は怪しさ満点だから手を付けないんだけど、「名作なんだったら1回くらいは読んでみようかな」と軽い気持ちで手を付けた。
名作である理由がすごい分かる。読んでいて面白いんだよ。
よくある恋愛指南書とか、Web上の「モテる秘訣10選」って、要するに「モテる男はこういうことをやっているから、それを君もやればモテるようになるよ!頑張れ!」みたいな内容じゃん。
本書は違っていて、まず読者がなぜモテないか、という理由をひたすら挙げていく。本当にひたすら挙げていくもんだから、ちょっと心が挫けそうになる。「いやでも私は違うよ云々」って思ったところで、そこも指摘してくるからスゴイ。この部分の描写は、←ズイショ→さんが本当に面白いから是非一読を。
とある一行を読んでて「いや、こっちの言い分としてはね」と言い訳が浮かんだ瞬間に次の行でピンポン「越後製菓!」くらいの勢いでブッ殺してくれます。これが非常に心地良い。
今日はコレに関連して、モテるための努力について私がどう捉えているか、についてちょっとおハナシしようかな。
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ちょっと前まで、私はモテるモテないって全然気にしなかった。むしろ、「モテるために努力することが恥ずかしい」とすら考えていたよね。大してイケメンでもないクセに、何頑張っちゃってんの?って思っちゃうから。
でも最近は、「モテることを考えたほうがいいんじゃないか」と思うようになりました。別に「彼女が欲しい!」とかそういうことじゃなくて、モテたほうが人生広がりそうだなぁ、って。たとえば服屋さんとかに行って店員さんと仲良くなったほうが楽しい。そういうのが増えれば、人生の幅が広がりそうだな、って思うのさね。
それに、冴えない大人になりたくないな、っていうのもある。例えば電車で帰宅ラッシュ時にいるような、くたびれた服とボサボサの髪の毛、だらしない体型で疲れきった顔しているようなオジサンにはなりたくない。私自身、そういう人があまり好きじゃないしね。あわよくばジローラモになりたい。そういう願望がある。
ジローラモさんのようなカッコイイ男になるには…モテるしかない!みたいな。そんなちょっとアホみたいな発想だね。
そのために筋トレもして、服装も最低限気を使うし、それと同じように、「どうやったらカッコいいかなぁ」を考えてみたりする 1。例えば女の子が、「どう化粧したほうが可愛いかなぁ」って考えるのと多分同じなんじゃないかなー。かっこよく見られたい。うん(笑)。
基本的に、「カッコイイ」は、「キモチワルイ」と思われるよりもずっと、生きやすい。カッコイイは作れる。カワイイが作れる、ってちょっと前に言われてたけど、カッコイイも作れると思うんだよね 2。少なくとも、カッコよくなろうと努力すれば、ある程度は報われると思う。
「どうすればカッコよくなるか」を考えてみると、「自分が周りからどう見られているか」っていう問題に対面しないといけないから、そういう意味でもプラスにはなると思うんだよね。生き方がかっこよくないといけないからね。思いやりとかも出てくるだろうし。店員さんに偉そうになんて絶対できなくなるよ。みっともなくて。
なんか書いてみると、すっげー私がモテるナンパ男みたいな感じになったけど、私はそんなことないです。修業中の身です。見てろよちくしょう。