「自分だけの哲学」を持つためにも、様々な哲学理論や科学理論を知っておいたほうがいい、というハナシ。
おいーっす。いおりんだよん。今日は「いおりん」という人間のルーツについてちょっと話そうと思う。
「自分だけの哲学」を持つためにも、哲学の歴史だったり、論理的な概念だったりを頭に置いておくのは重要なことだと思う。
私は普段から「自分の頭を使って考える」ということが大好きだ。しっかり考えることで人間の深みは増すものだと考えている。中学生の頃からぼーっと何かを頭で考えるのは好きだった記憶がある。有り体に言えば、空想好きだった。
そんな私だけども、中学、高校時代は本も読まず新聞も読まなかったので拙い思考回路だったんだけど、とあるWebサイトを先輩から紹介してもらって衝撃を受けた。
それが、「哲学的な何か、あと科学とか」さん。
このWebサイトは、一般人にはちょっと難しく思える哲学、数学、科学の話を分かりやすく面白い文章で説明してくれています。「不完全性定理」とか「相対性理論」とか「フェルマーの最終定理」とか「シュレディンガーの猫」とか。単語だけ見ると難しそうなことを、誰でも理解できるくらいに分かりやすく、面白く説明してくれています。
「自分だけの哲学」を持つことは生きる上でとても大事なことだと私は思っているんだけど、そのためにも、哲学の歴史だったり、論理的な概念だったりを頭に置いておくのは重要なことだと思う。
次に挙げる2つなんかは、論理的思考の本質を知るためには必要不可欠だけど、衝撃的な概念だと思う。
たとえば、ボクが、「ボクは嘘つきだ」と言ったとする。
もしこの言葉が「真実」であれば、ボクは「嘘つきである」ことになるが、
そうすると「嘘つきなのに、真実を言った」ことになってしまい、
おかしなことになる。一方、この言葉が「嘘」だとすれば、
ボクは「正直者である」という事になるが、
そうすると、「正直者なのに、嘘を言った」ことになってしまい、
おかしなことになる。
「A=B」や「AはBである」という言葉が意味を成すのは、
あくまで「AとBが違う」ときだけである。
こういうことって、義務教育や受験勉強では学べないけど、思考の幅を拡げるのにすごく良いんだよね。教えられた内容が前提からひっくり返されるようなこともあるし、「そういう考え方もあるか」っていう発想もできる。目の前の現象に対して、「本当にそれって、そうなの?」っていう発想ができるようになるんだよね。
実験結果がそうなっちゃったんだから、それを論理立てて説明しただけなんだよね。
例えば、シュレディンガーの猫っていうのも、「ある装置の箱の中には、生きている猫と死んでいる猫の両方が存在していて、その状態は箱をあけたときに決まる」っていうチンプンカンプンな現象解釈のこと。
これは、SFや小説の中じゃなくて、量子力学の学者さんらが真面目に研究した結果なんだよね。あくまで仮説だけど、実験結果がそうなっちゃったんだから、それを論理立てて説明しただけなんだよね。詳しくはこちらを参照してほしい。
参考: 量子力学 波動と粒子の2重性 – 哲学的な何か、あと科学とか
自分の哲学を持つと、自分自身に起きた現象に対して、色んな解釈をしようとするからね。物事の問題も見つけやすくなる。
こういう歴史を知ると、「世の中にはそうカンタンに説明できないことがある」っていうことが現実にあることを教えてくれる。そうすれば、色んな事象に対して、自分の頭を使って多角的な解釈ができると思うんだよ。
例えば「A社の離職率が高い」っていう現象に対して「A社の質が悪いからだ」っていうのも1つの解釈だけど、「次の会社のステップアップとして入社する人が多い→A社の社員育成が優れているのかも」「海外に行って、そこで転職する人が多いんじゃないか?」「厳しいけど給料は多いから、短期だけ働いて、物価の安い国でゆっくり過ごす人がいるのかも」とか、色んな解釈ができるじゃん。
そういう解釈の幅を拡げるために「自分の哲学を持つ」っていうのは良い方法だと思うんだよね。自分の哲学を持つと、自分自身に起きた現象に対して、色んな解釈をしようとするからね。物事の問題も見つけやすくなる。「なんで傘はずっとこの形なのかな」とかね。
普段からそういう色んなことについて考えていると、いざという時も頭が回ると思うんだよねー。とにかく皆さん、このサイト居てちょ。私は好きすぎて、本も買ってる。
ほんじゃ、またね〜。