やりたいことで生きていくっていうのは、やりたくないことは禁止ってわけじゃない、ってハナシ。

おいーっす。毎度おなじみ、いおりんでござい。

私は自分の気持ちを言語化するのがちょっと苦手で、このブログで記事を書くときも、「○○ということを伝えたいのに、文章にできない」と悩むことが多々あります。

子どもの頃、読書感想文の宿題をどうがんばっても出来なくて、「感動したんだけど言葉にするのは無粋だと思いました」と書いて提出したことがあるくらい苦手。

 

そんな私ですけど、本を読んだりWeb上の記事を読んだりしている中で、「これだよ!これが私の言いたかったことだよ!」と見事にモヤモヤを吹き飛ばしてくれる文章を見つけることがあります。そういう時は、たまらなく気持ちよく、ちょっと悔しい、と、そんな気分になります。

今回はそんな記事を紹介しまっす。徹頭徹尾、私が言いたいことを具現化してくれていてて、本当に気持ち良い。

将来どうしたら良いか分からない、とか言われたら、こっちとしては『したいことすりゃいいじゃん』としか言えないわけですが、それがなぜだか極端な意見になって返ってくる事が多いのがたまに不思議なんです。

「サッカーがしたかったら、サッカーで飯食っていけるんですか?無理でしょう?」みたいなのなんですが、正直ちょっと考えが浅くない?と、毎回思ってしまいまして…

(中略)

大事なのは自分の好きなことと嫌いなことをキチンと自分の中で知っておく事であって、別に好きな事しかしちゃだめですよって事じゃないと思うんです。

やりたいことを実現する為に、頭磨り減るくらい考える事の大切さについて | バンクーバーのうぇぶ屋

我慢した先にやりたいことがあるから、全力で取り組む、っていうのをしたいんだよね。

私も、「やりたいヤツらと、やりたいことをやりたい」っていう理由で会社を辞めたわけだけど、少なからず「そんな甘い考えを」って言われるんだよね。まるで、私は今後一切、「やりたいこと以外は一切やらない!」って宣言したかのように捉えられているんだよね。

私はそうじゃなくて、「どうせ努力するなら、やりたいことをやるための努力をしたい」ってハナシなんだよね。以前の記事でも私は言っているけど、我慢した先にやりたいことがあるから、課題に対して全力で取り組む。そーいうのが私はしたいんだよね。

例えば、「家でゴロゴロしたい」が幸せなら、「どうすればそれが続けられるか」を考えればいいんだよ。「毎月お金が○○円あればいけるな」とか、「半年稼いで、半年海外に住めばいけるな」とか。意外といけるし、やってるやつもいるんだから。まず「どうすれば実現するか」から考えないとね。

幸せに駄目なことなんてないんだよ 〜所ジョージさんの唄を聴いて〜 | イオリン手記 〜今日も空が青くて幸せだネ♪〜

私が嫌なのは、「特にやりたいことに繋がるわけでもないことに、努力したり我慢したりすること」なんだよね。そういうことって、楽しめないことじゃん。楽しめないとパフォーマンスも落ちちゃうだろうし、気持ちも落ちてきちゃう。そんなことに時間費やすくらいだったら、さっさと逃げてやりたいことをやろうよ、ってこと。

自分の夢につながるようなことだったら、例え好きじゃなくても楽しめるんだよね。でも、夢にも繋がらないし好きでもないことって、私は楽しめないんだよ。

知恵を絞るってことは、「今ある困難から逃げるためにはどうすればいいか」って考えることだよ。

なんでもかんでも忍耐することが美徳だと思われがちだけど、要するに「何の為に忍耐するのか」ってことだね。しなくていい忍耐ならしなくていい。逃げても夢が達成できるなら、逃げてもいい。知恵を絞るってのはそういうことなんじゃないかな。
知恵を絞るってことは、「今ある困難から逃げるためにはどうすればいいか」って考えることだよ。雨に濡れることから逃げるために傘を作るように。風邪を引かないように防寒具を作ったことのように。手紙の手間から逃げるためにメールやインターネットが発達したことのように。

「困難にも逃げずに立ち向かい、乗り越えることこそが正義だ」っていう考えは美しく見えるけれど、一歩間違うと人を壊しかねない、怖い言葉だよ。困難にあっても大丈夫になるのは鈍感になっただけであって進歩じゃない。困難に対処するというのは、どうすれば逃げられるかってことなんだよ。

 

私が今後やる努力はすべて、「やりたいこと」に向かっていくための努力にしたい。それができれば、気持ちよく生きられると思わない?

人は黄金を求めて過酷な海を渡ったんでしょ。

人は黄金を求めて過酷な海を渡ったんでしょ。