ホリエモンに群がる腰巾着は、宗教依存と同じなんじゃないの、ってハナシ。
おはこんばんちは!いおりんでござい。
私はホリエモンに関しては、特に好き嫌いの感情は持っていない。でも、ホリエモンをやたら持ち上げる人に対しては、「気持ち悪い」という感情を持っちゃう。
先日、こんな記事をいろんな人がFacebookでシェアしたから見てみた。
質問者「ホリエモンが任天堂のトップだったらどういう経営をしますか?ゲームをスマホ向けにするのは分かりますが、Wiiや任天堂DSのようなゲーム機はどうしましょう。」
ホリエモン「スマホそのものをつくりますけどね。ゲームとか子供とかのキーワードで」
このホリエモンの返答に対して、同記事内での持ち上げ方が気持ち悪くて仕方がない。
驚きの回答を披露した…
「ゲーム機だったら全世界で数千しか売れないけど、スマホだったら何億台と売れますから」。鋭い考察をみせつけ…
常人にはできない驚きの発想をみせつけたのであった。このような大きな視点で思考できるのが堀江貴文のすごいところであろう…
正直、ホリエモンの「スマホそのものをつくる」という発想は、特段すごいとは私は思わない。市場規模の話も、どこでも見られる情報を分析すれば簡単に割り出せる答えのひとつだ。ディズニーだって2008年からモバイルに手を出している。
ホリエモンさんのビジネスの手腕については疑いようがない。それは、ライブドア時代からそうだし、著書や提示サービスもそうだ。大失敗しても再度のし上がってきていて、色んな人にとって「無視できない人」になっている。その敏腕ぶりはちょっとびっくりするよね。
でも、だからといって、「ホリエモンのすることは全てスゴイ」みたいになっていて、全部の発言を取り上げて「さすがだ!」って言っている人はちょっと気持ち悪い。そういう人たちは、ただ「ホリエモン教」に心酔しているだけで、神様に頼って思考停止している人たちと同じ印象を受ける。
大事なのは、ホリエモンの講演を全て聞いて「なんで素晴らしい考えなんだ!」って感動することじゃなくて、その考えをタネにして、自分の考えを花咲かせ、自分の行動の糧とすることなんじゃあないかな、と思う。
コメント欄を変えたので、ちょいとテストっす。
メールが来なかったのでもういっかいてすと。