なぜ嫌なことを我慢しているのか、というハナシ

まいど!みんなに夢をお届けするいおりんが、今日も書いちゃうぜ♪

先日、私の今後についてのハナシになった際に、こーんなことを言われました(一部意訳)。

「嫌な人とか、嫌なこととかでも、我慢して楽しいことを見出していくのが、大人だ。いおりんが言っていることは子どもの考えだ」

私は、こういう価値観に対しては断固としてNOを突きつけたいと思っているので、今日はそのお話。

先に書いておくけど、私はその友人を、こういう意見の相違ありきで、親しい友人だと認識しています。

なぜ、それが嫌いなのに我慢しているんですか?

今の私は、「好きな人と好きなことをして生きていくのが、イチバンなんだから、それをまずは目指すべき」と考えている。

こう言うと、「甘ったれんじゃねぇっ、ハナタレボウズが!」というハナシになるのもわかる。これだとまるで、嫌なこと全部から逃げ出して、それで生きていければそれでいいと、そのように見えるからね。そんな世の中、甘くないと言いたくなる人の気持ちも分かります。

嫌なことを我慢することが必要なことも私は知っている。ただ、「なぜ、”それ”が嫌いなのに我慢しているんですか?」ということ。私は、「その先にやりたいこと、好きなことが待っているからだ」と答えられるような我慢だけをしたい。人はそれを下積みと言うんだろうね。

「忍耐=美徳」じゃないんだよね。

こと仕事において、日本人は「忍耐=美徳」と語りたがるけど、私は「夢のための忍耐=美徳」だと思うんだよね。目指す夢があり、その道中に障害があるなら、乗り越えることに価値はある。でも、夢に関係ない道の忍耐は、いつか役に立つかもしれないけど、避けるにこしたことはない。

「ツライことも、いつか役に立つ」とか言う人もいるけれど、「楽しいことが、いつか役に立つ」ことを忘れちゃ駄目だ。日本横断した人とかは、むしろ後者を語るんじゃあないかな。

だから、自分の夢に関係ない忍耐なら、さっさと辞めてしまえばいい。「これ我慢して行く先も、別にやりたいことじゃないな」なんて我慢をするくらいなら、「これ我慢すればHAPPYな人生待ってるぞ!」という我慢のほうが万倍良いのは、明らかだよね。

幸せを追う覚悟。

私は、そういう意味で「やりたいことをやりたい」のだ。夢を追うとバカを見ると人は言うけど、私はまだ、この社会で一度も夢を追ったこともねーじゃないのよ。だったら、「やりたい我慢だけをする人生」に挑戦してもいいでしょ、一度くらい。それで駄目だったら、そんとき考えればいーじゃん。

ちょっと厳しいこと言っちゃうと、「嫌なことをしない」という覚悟もなく、今の現状の中になんとか折り合いをつけるような生き方こそ、「甘ったれ」だと思っちゃう。現状のリスクから目を背けて、「社会人」だとか、「大人」とかいう言葉を使って、思考停止していないかい、と。夢や幸せを追わないのは早いんじゃないか?

 

私は、夢を諦めたくないのです。みんなも、諦めなくてもいいと思うのです。失敗してから考えたらいいのです。だって、日本だよ?多分死なないって!私はそう思ってます。

みんなもそう思えるように、私もしっかり幸せに、夢に生きます。ほなさいなら〜☆

虫だって、「幸せのための我慢」だけしかしないよね。

虫だって、「幸せのための我慢」だけしかしないよね。