人生の中で「安定」の価値を下げれば、「望み」が得られるのかもしれない、ってハナシ

おいーっす、お前ら、冬の寒さに負けずに乾布摩擦してる?私はしてない!いおりんです。

最近、映画のカイジを見ました。原作も簡単には読んでいたし、実写のキャストは私の好きな演者さんが多かったのでずっと気になっていたんだけど、ついに見ることができました。

「ずっとしたかったけどできなかった」って、私は人生の中ではなくしたいんだよね。したいなら、すればいい。それだけじゃん、という人生を送りたい。

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迷っているときは、「望み」と「安定」を秤にかけている状態なんじゃないかな。

さて。そのカイジの中で気になるフレーズがあったんです。

「迷ったら望みだろ。」

これ、良い感じで真意をついていると思うんだよね。何か行動するかどうかを迷うってことは、「望み」と「安定」を秤にかけている状態なんじゃないかな、って。「望み」っていうのは、楽しそう、大金持ちになれそう、カワイイ子と付き合えそう。とか。

例えば、大学を辞めて世界一周に行こうか迷っている人は、世界一周に「望み」が見えている。登山家になろうか悩んでいる人は、登山行為や山に対して「望み」を見出しているんだよね。

細分化していくと、あらゆることに、さっきの秤は使える気もするよね。小さな、小さな「安定」を切り売りして、お菓子を買ったりゲームを買ったり飲み会を開いたり。それを自分へのご褒美だ、なんつって。そうやって、「安定」を築きつつ、切り売りしつつで、人は生きているのかもしれないね。

そう考えると、迷わなくても生きていける人ってのは、「望み」を選んで、ちょっとくらい「安定」を捨てても問題ないくらい、盤石な「安定」を築き上げている人なのかもしれないね。例えば、不動産を持っている、とか。貯金めっちゃある、とか。

と、ここまで書いて気付くんだけど、この「安定」の定義がほとんど、「お金」なんだよね。「家庭」もあるかもしれないけど、迷いの大部分を「お金」が占めてる。怖いよね。カイジでも言ってた。「金は命より重いんだ」って。

「円安」どころか、「命安」に陥っているよね。

今、日本では結局「金は命より重い」を体現しているような働き方が蔓延しているんだよね。円安だなんだって言うけど、その前に「円高・命安」に陥ってるよね。命を削った対価が円だとして、命がどんどん安くなっていってる気がする。ノー残業とかその極みじゃん。人生を犠牲にして給料を得ている状態は、昔より酷いよね。

自分の中で、お金の価値を下げて、命の価値をあげる。そういう生き方をしたほうがいーんじゃないかな、と私は思う。人生においてお金の価値が下がれば、「安定」の価値も下がる。そうすると、「望み」と「安定」を秤にかけたとき、「望み」が選びやすくなる

つまるところ、自由になるってことにならないかな。

言葉遊びの域を出ない気はするけど、イイトコついてる気がするんだよね。

私は今、前よりは自由に生きているけど、それは自分の中で「お金よりも命の方が大事だ」と気づいたことが大きいと思う。極論を言えば、「お金がなくても日本ならなんとかなるんじゃないかな」と漠然と思っている。

だから自由だ。「望み」を、割と迷い無く選べる。私は、私の人生を生きることができているんだよね。

ただ、やりすぎるとカイジみたく、地下帝国で永遠の労働にいそしむことになりかねないから、早く独りで稼げるようにならんとね!

今日はこのへんで☆

昔ながらの映画館に興奮するいおりん。

昔ながらの映画館に興奮するいおりん。