「リモコンの死」に溢れた現代と絞る価値
どうにも老人っぽい発言になって嫌なのだが、私は最近、どうも「人類の生活の進歩はどこかで曲がり角にぶつかった」と思っている。
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おおよそ2010年くらいまでは、技術の進歩というのは生活の進歩と色濃く結びついていたように思う。
ケータイ電話が普及し、それらはスマートフォンになった。インターネットは電話回線からADSL、光ファイバーと爆発的に早くなり、それによってネット経由で画像・動画・音楽・あるいはゲームが楽しめるようになった。FacebookやTwitterで離れた人と気軽に交流できるようになった。服は安くオシャレになり、Amazonで足りないものはすぐに手に入れられるようになった。
技術が進歩し、それによって生活が直接的に便利になっていた。
それが、2010年〜2015年くらいから、「技術は進歩してるし選択肢は増えているけど、生活は進化していない」という事態が起きているように思う。
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もちろん技術は変わらず進歩している。midjourneyやChatGPTに代表されるAIであったり、あるいは映画のCG技術、スマホだって処理速度は年々向上している。
だが、それらの恩恵を受けて、私たちの生活は進化しているだろうか。
2020年代になってリモートワークが現実的な選択肢になったが、それは技術の進歩ではない。Covid-19の副次的産物で、リモートワークに使っている技術は2010年ごろにあったモノでも実現できる。むしろ、SlackやChatGPTなどいろんなツールよりも、2010年ごろにあった「MSN Messenger」などのほうが機能が絞られている分、便利だったようにすら思う。
私が学生時代、システム設計界隈では、「リモコンの死」という教訓があった。善意によって機能をつめこみすぎると、本来の役割を達成することすら困難になってしまう、という教訓だ。大量にボタンがついて目的が果たせなくなったリモコンのように。
今やほとんどのPCツールは、同じように死んでいる。技術が進化し、できることが増えた結果、機能をつめこみすぎて、本来の役割を果たせなくなっている。テキストエディタもチャットツールも、多機能を実現するために大量のデータ・プログラムを読み込み、文字を書いている最中にもいくつもの通信・プログラムが動作している。そのため、本来の「メッセージのやりとり」を阻害している。
クールな見た目をしているだけの、鈍重で使いづらいツールばかりだ。
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今の時代、世界の大部分はインターネットで繋がったが、私は、世界は繋がるべきではなかったと思っている。
SNS・・・特にInstagramが出てきた当初、SNSが人体に悪影響を及ぼしているような研究レポートがいろいろと出てきた。それらは今でもいくらか続いているように思う。
人間は、それぞれがある程度、分断された環境の中で生きるべきなのだ。集団がより広く繋がってしまうと、無いものねだりは青天井になり、いっぽうで合わせるべき最低基準は地に落ちてしまう。誰もが輝かしい著名人に憧れ、あるいは嘯き、一方で誰もが「かわいそうな彼らを、私らを見捨てるな」という。全員でウソをつき、全員で足を引っ張ることになる。
それは、山の中の暮らしで鹿肉を食べて満足していた人間を街に引きずり出し、甘味料たっぷりのケーキを食わせて「こっちのほうが幸せだろ」と言うようなモノだ。街から分断されていれば幸せだった男は、他の価値観と出会うことで、満たされるための条件が困難になる。その結果、山で生きている人間は甘味料を求める身体にされ、街に生きている人間は山を羨むようになる。
人々は無闇やたらと繋がり合うべきではないのだ。直接繋がらなくても、誰かの行為は誰かに巡っている。どこかの農家さんが作った野菜を食しているし、私が綺麗に使った公共の場所を、他の誰かが快適に使ったりしているのだ。
現代はむしろ、世界が電波で繋がっているせいで、身の回りの繋がりを蔑ろにしているようにも思う。コンビニの店員さんに感謝を示さず、スマホで遠くにいる旧友とメッセージを交わしていたりする。カフェなどでも、店員さんの優しい接客に、何も言わず無愛想に対応し、スマホの中にすぐに入っていく人をよく見かける。
容易く繋がれてしまうからこそ、目の前の世界と繋がれていないように思う。
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とはいえ、私はネットでの繋がりが嫌いなわけでもない。
私自身、中高生のころはインターネット上の知り合いがいたし、一緒にネット経由でゲームをしたりもした。ただ、それは「得難いモノ」であった。当時は「ネットでの知り合いだなんて怪しい」という逆風もあったし、そもそも「たまたま同じWebページの掲示板・チャットルームにいただけの人」でしかなかった(2ちゃんねるは使っていなかった。)。
何人とも繋がっていたわけでもなく、数人だけだった。そこに「ドレスコード」があれば、ネットでの繋がりはいいと思うのだ。探せば大量に見つかるのではなく、たまたま同じ条件・同じ場に居合わせたかのような繋がりであれば。
今は「Suggestion(オススメ)」などと言って、勝手にプラットフォーム側からドレスコードを無視した繋がりを押し付ける始末だ。「人類の多くが惹かれてはいるが、全く自分には興味ないコンテンツ」が押し付けられ、射倖心を煽られるのだ。「繋がった方がお得ですよ」「この人と繋がった方がお金が稼げますよ」と。
私はSNSではFacebookが好きなのだが、その大きな理由は「実名であること」「本人であること」がドレスコードだったからだ。それが故に人々は危機感を持って使うことができたし、分断を保つこともできた。それに、よくわからない繋がりを押し付けられることもない。候補はあっても繋がりを作るかどうかは私たちに委ねられる。
Meta社の製品は、そこのバランス感覚に優れているように思う。Instagramのオススメも、ユーザの行動に強く紐づいていて、よくわからないゴシップがおすすめされることはない。私のInstagramは友人以外は、好きな著名人と、あとは自然かバスケで覆われている。Threadsは少し怪しいものの、興味ないコンテンツをMuteするとしっかり関連したモノも消えてくれる。
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私は今でも、Facebookの「ウォール」の設計思想は発明だし、SNSにおいての、1つの到達点だと思っている。ウォールに行けば、友人たちの活動の全てが載っている。引っ越したり、結婚したり、知り合い同士になったり、そういたことが全てウォールにある。
それはまるで、マンションの掲示板か、あるいはシェアハウスの冷蔵庫に貼ったホワイトボードのようなものだ。それがインターネット上で再現されている。先述したようなドレスコードがうまく作用していれば、とてもワクワクするモノになる。究極「お知らせ」すら不要だ。ふとウォールを見に行って、へぇ〜〜となるようになれば、それでいい。
まぁどうも、私の観測範囲では「お金稼ぎ臭」と「よそ行きモード」があるから、なかなかうまく作用しているとは言えないけれど・・・(知り合いの日常に興味はあっても、ヨソ行きモードのお知らせや、友人のお金の稼ぎ方には興味ないだろう。)
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もちろん細かい分野での変革はいろいろあるのだとは思うし、業界によってはしっかり年々進化している部分もある。
最近で言えば、ファンビジネスについては、かなりの変革が起きたように思う。投げ銭や配信チケットによって、地理的な制限が取っ払われ、遠くにいるファンを味方につける理由が大きくなった。ファンも新幹線や高速バスよりも、応援している人に直接課金できたほうが嬉しいだろう。
NFTによってデジタルアート上にもお金の動きが作られるようになった。これも直接課金・ファンビジネス的な一面はあると思うけれど、やろうと思えば、ジブリが「もののけ姫のデジタル作画部分の原画」みたいなのを売り出せるし、株みたいな仕組みも作れる(この作品はこの10人のNFT所有者の提供です、といった具合に)。
私はビデオゲームが好きだが、この界隈の進化もとどまるところを知らない。技術の進歩によって、映画の中にいるような体験もできるし、オンラインで世界中の人と一緒にゲームができる。また、型破りで破天荒なインディーゲームが毎年のように革新的なゲームを届けてくれる(Only Up!やスイカゲームなど)。
ただ、一方で「全く良くなっていないな」と思うところも大量にある。先ごろ言ったように、テキストエディタ、チャットツールやプロジェクト管理ツールといったものは、できることは増えても便利にはなっていない。Amazonが便利なのは、それが10年前とほぼ変わらないからだ。Netflixも、日本に来てから10年近く経ち、それ以降は配信プラットフォームが多様化して、むしろ不便になっている。
お金の支払いも、Suicaなどの「タッチ決済」以降、進化した体験というのには出会えていない。QRコード決済は、導入するサイドの手間が少ない分、利用者側が面倒になっている。タッチ決済なら秒で終わる作業に、15秒〜30秒ほどかかる。さらにQRコード決済の乱立によって、お店サイドの負担も増えている(どれを選んだらいいのかわからない、など)。PayPayが普及したのも、結局は「ビジネス的な側面」・・・つまりキャッシュバックやCM戦略の結果だ。
多くの新商品が、そういったビジネス的な側面に根ざして普及しているように思う。特にGoogle社がYouTubeなどで取った戦略によって「結局、莫大な予算を投入して市場を独占状態にしたモノが勝つ」ということを証明して以降、その戦略は各地で目立つ。良いモノよりもビジネス的に好まれるモノが世に出てくるのだ。
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そう言った時代の中で、「引き算」をして作るモノづくりというのは、とても価値があるんじゃないか、と思う。
Basecampというサービスを提供しているJason Friedさんは「Kill Overkill」という概念を提唱している。その言葉の通り「過剰さを避けろ」というような意味合いだ。過剰な機能、過剰な会議、過剰な投資、過剰な目標、過剰な市場規模・・・。それらを殺すことで、不必要なコストを避けて洗練さへ向かうことができる、と。
Twitter(現X)が、イーロン・マスク氏の参入により多機能化を加速させたそのタイミングで、Meta社が同様のSNS「Threads」を立ち上げた。機能的にはほとんど、Twitterの機能縮小バージョンと言えるが、だからこそSNSとしての価値があった。Twitterは多機能化によって元来持っていた価値を喪失し、Threadsはその価値を奪い取ったのだ。
この危険性は多くのツールが持っている・・・というより、SlackもNotionも、他の多くのツールも、元来持っていた価値を失いつつある。
Slackはシンプルなチャットツールから「リマインダ」「Todo」などが増えて統合的なビジネスツールになろうとしている。その結果、「自分宛のメッセージを受けたのか、リマインダを受け取ったのか、あるいは自分が含まれているスレッドに新規投稿が来ただけなのか」がわからなくなっている。
Notionはシンプルなクラウド・メモツールからさまざまな装飾やAI機能が搭載された統合的テキストデータ管理ツールになってきている。その結果、読みやすい文章を書くことが難しくなっている上、読み込みが遅くなっている。一昔前、Microsoft Wordで作られた装飾ゴテゴテの文書が揶揄されていた。同じような問題が、いろんなツールで起きている。
厄介なことに、「それっぽく見せる技術」だけは向上しているから、全てのツールがクールな装いをしている。だから、自分たちが実は装飾ゴテゴテのひどい状態にいることに気づけない。死んだリモコンがクールな装いでそこにいるのだ。そして、ビジネス世界で「ほら、クールな上にこんな多彩なことができるんだよ」と紹介される。
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実際、私は少し前に、「余計な機能が何もないテキストエディタ – Typewriterin」を開発した。画面上にはPlain Textが書けるエリアがあるだけだ。あとはCSSを直接いじってフォントを変えることができるだけだ。
私はこれをとても愛用している。余計な機能がなく、ただ「文章を書くこと」だけに集中できるからだ。私のブログはWordpressで運営されているが、Wordpressのエディタも機能が多すぎる。そんなモノに頼ってしまっては良い文章など構築できない。
私は、社内の自由開発DayでこのTypewriterinを発表した。そのとき頂いた意見の多くは、「機能を増やしてはどうか」だった。サーバ上に自動で保存する機能、Markdownに対応する機能など、他の多くのエディタが備えているように、それらをサポートしたら良くなるだろう、という意見だった。
もちろん善意から来る素晴らしい意見だが、私はその全てを却下した。機能がないからこそ、このテキストエディタは完成している。Markdownに対応させればその分動作は重くなるだろう。サーバ上に自動保存などしようモノなら、常に通信環境に気を配る必要があるし、もちろん動作はさらに重くなる。
Typewriterinは、インターネット回線さえあればどこでもすぐに開ける。ブラウザで動くから、スマホだろうとなんだろうと動く。総データ通信量は100kB未満で、ファミコンのゲーム程度しかない。一度通信してしまえば、その後一切の通信は動かない。そのため、余計なセキュリティに気を遣う必要もない。Typewriterinは、書いている文章を、あなたのパソコンのキャッシュ領域にしか保存しないのだから。もちろんAIが勝手に読み取って教材にすることもない。機密パスワードをメモ代わりに置いても全く問題ない。勝手にどこかに自動保存したりはしない。
機能を絞りに絞ることで、「文章を書くことに集中できる」という価値を守っているのだ。
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最終的に手前味噌な話になってしまったが、制作・創作とは、「削ること」「やらないこと」にとても価値がある。これは、「成長」というトレンドの中にはなかなか生まれないモノだ。だからこそ、競争社会において光る価値だ。
SNSにおけるThreads、ゲーム業界におけるスイカゲーム・ONLY UP!が注目を浴びるのも同じじゃないかなと思う。絞り、特化させる。そうすることでOverkillを殺すことができ、自然と輝く。
“The beautiful things don’t ask the attention.”
真に素晴らしいのなら、それはアピールする必要すらなく素晴らしいはずだ。それこそが理想のはずで、無理に機能を増やし、Overkillを無理やり押し付けるから、それは進歩ではなくなるのだ。