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Stay Gold, Ponyboy.

常在戦場の心持ちの原点。

ちょっと前、友人と話していた時に、「イオリンは何と闘ってるの?」と言われた。

たしか、「30歳に至るまでで何も積んできてない人には負ける気がしないよね」みたいな会話をしていた時だったと思う。

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俺は、人生において「理想の生活」を求めることは闘争だと思っている。実際、ソレは「勝ち取るモノ」だと思っている。

以前、どこかで「雨の日に傘をさすという行為は、天候に対して『濡れないエリア』を勝ち取っている行為だ」みたいなことを書いた記憶があるんだけど、冗談抜きで色んなことをこう考えている。

時折、友人たちに、「イオリンの考え方はちょっとキツすぎるよね」みたいなことを言われたことがあって。俺はそれ以降、他者にアドバイスすることはとても気をつけている。

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多分、原因の一つは、「手が差し伸べられなかった時期」があるからだと思う。

今から話すことは悲観的な嘆きや後悔じゃないから、あくまで「歴史」だと受け取って欲しいんだけれど。

俺は小学校高学年〜中学生までずっと、イジメのようなモノを受けていた。最終的に俺は中学3年生の夏、おこづかい5,000円だけを握りしめて家出することになるんだけど。

あの時期、色んな人に勇気を振り絞って相談したけれど、そのことごとくで助けてもらえなかった。「何かあったら言ってね」と言ってきた大人たちが、いざ相談したら「我慢して」と返してきた。

最終的に行方をくらましたんだけど。あの時歯車が狂っていたら、俺は今頃、龍が如くの世界にいた可能性もなくはない。

あの時に、「誰かが手を差し伸べてくれることはないんだ」「自分で勝ち取らなきゃならないんだ」というのが刻まれたように思う。一方で、これがあるから、誰かから手が差し伸べられた時にむっちゃ嬉しいのと、警戒しちゃうのとがあるんだけれど。

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現実で助けてくれない分、創作の中にそれを求めていた側面があって、創作内の価値観を自身に取り込むことは多かったと思う。そのせいか、俺の人生観がどこかファンタジーというか中二病というか、そーいう部分があるのは間違いない。

特に「ベルセルク」はむちゃくちゃ大きいと思う。

グリフィスが自身の人生観を語る場面、俺は登場人物と同じくらいの温度でその言葉を受け止めていた。古本屋で立ち読みしていたんだけれど、今でも鮮明に思い出せる。

「夢に支えられ、夢に苦しみ、夢に生かされ、夢に殺される。」
「男なら、一度は思い描くはずです。『夢』という名の神の、殉教者としての一生を。」
「生まれてしまったから、仕方なくただ生きる・・・そんな生き方、俺には耐えられない。」

当時、生きる理由とか意味とかを見失っていた自分は文字通り衝撃を受けた。といっても、当時の自分にそこまで焦がれるほどの「夢」はなかったんだけど、それを模索する人生になった。

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その少し後に「セスタス」という漫画にも出会っている。こちらは多分少しマイナーなんだけど、ベルセルクの作者と同門の人が描いていて。「闘争心」を刻んでくれたのはこっちのほうが強いかもしれない。

古代ローマ時代の拳奴(拳闘士の奴隷)のハナシだから、そもそもが「勝ち取るために戦う」という物語なんだけど、その中で、主人公の先生からの言葉は教訓として心に刻んでいる。

「寝言をぬかすな。たかが15、6年生きた程度の小僧ごときが、俺の前で挫折を気取るつもりか?」
「よく聞けガキども。目を覚ましてしっかり前を見ろ。挑みもせず諦めるなど俺が許さん。」
「拗ねるな。嫉むな。逃げるな。誤魔化すな。今この場で出せる全力を振り絞れ。」
「今日現在辿り着ける己の極点へ登れ。他者との競争は常にその先にあるのだ。」

当時、主人公と同じ年代だったから、ものすごく心に刺さった。もちろん事態の深刻さは彼らとは比べ物にならないにしても、「生死の尊厳が揺らいでいた」といった時期だった青年期の俺に、「セスタス」が「闘う」ということの筋金を入れてくれたのは間違いない。

10代のうちに出会えてよかったな、とも思う。「今日現在辿り着ける己の極点へ登れ」なんて、30歳超えてから目指してもあんま意味ないと思う。無駄とは言わなくても、それを5年10年続けている人に勝てないから。

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根っこのところに苛烈さがあるのは否めないと思う。実際、俺が頑張っている原動力は闘争心・・・あるいは「怒り」にも似ていると思う。

世の中における競争・闘争は不平等の塊だ。生まれながらに、あるいは社会構造として勝利が確約されている人物がいるし、環境や時代などで、有利不利が大きすぎる。そこに対する感情は「怒り」だと思う。

また、「勝ち取ってもないのに掠め取ろうとする卑怯者」「大して積んでもいないのに、不平不満を漏らす愚か者」に対する怒りもある。望むモノがあるなら勝ち取らなきゃいけない。闘う覚悟がないなら負けて失うのは当然だ。

社会構造的に、「勝負だと気づかせる間も無く敗者に仕立て上げて奪い去っていく」みたいなことも多い。「秘密のルールを知っている人だけが勝ち組になり、あわてて行動した時にはすでに勝敗は決していて、望まざる生活を送っている・・・といった構造だ。

そういった不完全すぎる構造に対する「怒り」と、それでも勝ち取ってやる、という反骨心みたいなモノは根っこにあると思う。

その点を見れば、俺はむちゃくちゃ苛烈かもしれない。

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とはいえ、ある一定以上、強く在るためには「中庸」とでもいうような状態に在る必要がある。

正確には、「中庸を意識しないといけない段階まできた」といったところかも。

怒りに身を任せてガムシャラに走っても一定以上は強くはなれなくて。怒りをそのまま爆発させるんじゃなくて、丹田でぐるぐると回してエンジンにする。心はつねに真ん中でバランスを取っている状態。このほうが強く在れる。

だから、俺の表層部分は幾分かやわらかく見えることも多い。職場では優しいとかなんだとか言われるし、第一印象では物腰柔らかく受け取られることもある。

でも根っこにあるのは怒りや闘争心だし、「どんな他者でも闘う相手になるかもしれない」とも思っている節もあると思う。

その一端が漏れた時に「何と闘っているの?」と思わせる要因かもしれない。心のそこは常在戦場に近い価値観だ。

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ちなみに、俺も世間一般で言えば恵まれているほうにいるかもしれない。日本に生まれてる時点で超強いし。自分で言うのもなんだけどアバター性能も悪くないと思う。運動能力あるし、頭の回転も悪くない。研鑽もあるけれど、資質もあると思う。

だから、「生まれや育ちの理不尽」を語ることに一定の躊躇はある。

上述した漫画「セスタス」は古代ローマの奴隷の話だから、その辺りにも踏み込んでいる。拳闘奴隷セスタスの他に、皇帝の私兵団長の息子であるルスカ、さらにはネロ皇帝そのものが物語に絡んでくる。

まぁ要するに、セスタスおもろいから読むといいですよ。

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