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Stay Gold, Ponyboy.

これまでどれだけ積んできたかどうかで人生は決まる

人生って「これまでどれだけ、積んできたかどうか」でほとんど決まるよな、というハナシをする。

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そもそも人生を勝負と捉えていない人もいる気がするけどさ。オイラは人生全体を「勝負」と思っている。

望む人生を手にいれるためには、どうしても何かと戦い、勝ち取らなきゃいけない。望む給料、欲しい家庭像・・・そんな幸せな人生は、自分から勝ち取らなきゃ、他の人に奪われて終わるのさ。

特に今の時代は、資源よりも人間のほうが多いからさ。何を得ようとしても、同じものを欲している別の人=競争相手が存在しちゃうから、どーしてもそこで勝ち取らなきゃいけない。

そーいったさまざまな勝負において、勝敗を決めるのは「それまでどれだけ積んできたか」なんだよな。実際に闘っている時ってのは「答え合わせ」の場であって、努力する場面は別なんだよな。

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いっときの勝負では、「積んできたかどうか」ではなく、「要領の良さ」がモノを言う場面も多い。特に、「よーいドン」の時点では、みんな平等に「積んでいない状態」だからね。

たとえば「大学の講義の成績」とか「新卒就活の就職先」とかは、要領の良い人が勝つ場面も多いよな。それは、競う相手との能力値が近い位置で揃えられてるからだ。要領の良い人がスタートダッシュを決めて、そのまま勝ちやすい。

一方で、それから先の長い「人生」においては、要領が良いだけでは勝ち取ることはできない。積んできた差が年単位で違ってくると、それはもう、要領の良さだけで覆すことはできない。

つまり、「要領の良さ」は才能としては微々たるモノなのさ。

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オイラは執筆時点で33歳だけどさ。もう、この時点で「積んできていない人に負ける気はしない」というのを実感してる。

30歳を越えてくると、両者の差は3年とか5年とかの差だからね。さすがにここまで差がついていて、「負けるかもしれないな」とは思わないぜ。

ここまで積んで来ていない人間が、今さら積みはじめても、もうオイラに追いつくことはほとんどないわけさ。彼らが今から3年5年と積み重ねたところで、オイラも同じ分、さらに積み重ねているわけでさ。

オイラのほうが積み重ねるコツとかを知ってるから、その差はむしろ広がっていくかもしれない。

これは別に自信過剰・傲慢になっているわけじゃなくてさ。「もはや戦場が違うよね」っていうハナシ。

オイラの戦場は「オイラと同等以上に積んできている人」がゴロゴロいる場所なのさ。その中で敗北も悔しさもしっかり味わってる。まだまだ足りないと思っているし、だからこそひたすら積み続ける日々を送っているわけで。

でも、積んできていない人はその戦場に立ち入ることもできないのさ。他者との競争は、必死に積み重ねた先にある。積み重ねていない人は、競争する間もなく負けていくだけなのさ。

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一方で、オイラの肌感で言えば、「全体の9割くらいは大して積んでないよな」とも思う。コレまた傲慢に思うかもしれないけどさ。

多くの人たちは、最初から積んでないか、どこかで積むことをサボって、「要領の良さ」に頼りはじめちゃう気がするんだよな。

上述したように、要領の良さは初期ではかなり強いスキルだから、最初の半年とか1年で後塵を拝した人たちが、「やっぱり生き抜くには要領の良さも大事なんだ!」みたいなふうに思って、地道に積み上げることを諦めてしまう気がする。

だから、サボらずしっかり積んでいれば、上位10%くらいの人間にはなれるんじゃねえかな。ずっと続けていれば、勝手に周りが諦めたりサボリだしたりして脱落していくから。最後まで地道に走り続けていれば、紆余曲折はあれど5年くらいで上位10%にはなれる気がするよ。

周りを見ていても、30歳を越えたあたりで「積んでいないのに上位10%」はいないし、「積んでいるけど下位90%」ってのもあんまりいないんだよな。ちゃんと積み続けていれば、上位10%にはほぼみんな行ってる。

もちろん、あんま積んでなくても「上位80%」くらいにはなれる可能性あるし、積んでいない=不幸ってわけでもないぜ。ただ、両者の間には覆せないほどの差が生まれているってだけでさ。

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ちなみにオイラが今の場所にいるのは「運」の要素もかなりでかいんだけど。

「運」も、ある程度積み重ねられるんだよな。これはまた別の要素になってくるけどさ。「運」がふりかかりやすい場所に身を置くとか、運が落ちてきたときに掴みにいける足腰を鍛えておくとか、そーいうのは積み重ねなのさ。

もちろん、積み重ねナシのラッキーイベントもある。けど、このラッキーを含めてさえ「上位80%どまり」だと思うし、さらに「積んでる組」と正面衝突したら、積んでない組はどう足掻いてもボロ負けする。

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よーいドンの最初期にすげーー先を走っていた人が、気づいたらむちゃくちゃ後ろにいる、みたいな場面はよくある。

要領の良さ、奇策、ラッキーイベントによる勝利はドラマ性があるから、みんなそっちに目を奪われるし、本やドラマになりやすいけどさ。あんまり再現性ないんだよな。

ちゃんと再現性あるのは「地道に積みあげ続けること」なんだけど、これって「積んでない人はもう超一流にはなれない」と同義だからさ。30代半ばで気づいたところでどーしよーもないから、奇策やラッキーイベントによる成功のほうを憧れちゃうんだろうな。

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