繋がりは香るくらいでいい
オイラは長野県伊那市という街に引っ越した。田舎というほどではないけれど、日本アルプスに挟まれた谷間にある街。
こーいう街に住むと、「人との繋がりが強いんじゃないか」みたいなハナシがたびたび出てくる。
体験談としても「長野県に移住したら人との繋がりが強くなった」だとか「近所の農家さんから農作物を譲っていただけることが」みたいなハナシは枚挙に暇がない。
ただ、オイラはそーいった強い繋がりというモノは全く求めてないんだよな。
20代後半、フリーランスになったあたりのオイラは、知らない人と繋がる機会を求めて生きていたフシがある。
シェアハウスに住むことを選んで、そこで生まれる飲み会やらなんやらは積極的に参加するように努めていた。もちろんそこで出会った人たちは素敵な人が多かったし、今でも交流のある人はいる。
でも、総体的に言えば、すげー疲れるな、と。
繋がりを増やしていくと、もちろん楽しい面は色々あるけど、その分、人生において影響を与える要素の数が爆発的に増えて、舵をとるのがすごい疲れるんだよ。バランスを保つのがすごい大変。
そのあと色々あって、結論オイラは「ゆるーい繋がりでちょうどいい」と思うようになった。
強い繋がりを持つと、どこかのタイミングで「がっかり」しちゃうんだよ。あぁこの人、こーいうことしちゃうんだ、とか。「歩きタバコしちゃうんだー」とか「自分勝手なんだなー」とかね。
もちろん、友人と呼べる人は何人かいて、彼らとは直接的に繋がっていると言えるけど。それは彼らだから。あんまり「がっかり」とかはしないから友人でいられるし、これまでの経験があるから、繋がりが切れたりはしない。注意するだろうしな。
でも、知らない誰かと新しく繋がって、そこで経験も浅いまま「がっかり」と遭遇すると、それはもうサヨナラだよ。
そんなサヨナラを繰り返すくらいなら、直接繋がらないほうがいいだろ、と思うわけだ。
これは別に悲壮的じゃなくてさ。「ゆるい繋がり」でいいのさ。「この地域で生産された農作物を買う」とかでいいの。農家さんと直接やりとりしなくてもいいのよ。
そこでその農家さんが歩きタバコとかしてたらオイラ「がっかり」しちゃうから。それならいっそ、繋がらないほうがいい。その人の農作物を人知れずいただき、「どこかの誰かさん、ありがとう」くらいでいいのさ。
だからこそ、全くの田舎ではなく、「多少栄えた街」を選んだ、というのもある。
オイラが住んでいるあたりにはバカでかいスーパーもユニクロも、コンビニもある。ちょっと歩けばスタバやマクドナルドだってあるから、生活基準は都内にいたころとほとんど変わらずに過ごすことができる。
これが、本当に自然しかないような上位田舎に住むと、そうはいかないと思う。近所に数世帯しかないと、すれ違う人たちはみんな知り合い、みたいな状況になるだろうし、町内会的な集まりもあるだろ。なかよくワイワイできるかもしれないけど、ガッカリする可能性も高くなる。
特にオイラは、みんなでワイワイ集まって飲む場所、ってのは苦手だからさ。村八分リスクが高いよな。そーなったらもうガッカリどころの騒ぎじゃねえぜ。
だから、「繋がらずとも生きていける、自然のある場所」を選んだわけだ。
もちろんこの街でも人と繋がって生きていくことはできる。実際、伊那市のメリットとして「繋がり」を挙げる人もちらほら見かける。
でも、オイラは「直接繋がらない」という選択をしたかった。
だから、この土地で誰かと直接繋がるってことは、ほとんどないんじゃないかな、と思う。