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Stay Gold, Ponyboy.

観客が感じているのは悔しさじゃなくて悲しさとか別の感情だと思う

これからするハナシは多分、あんま共感は得られないし、むしろ非難されそうな気もするんだけど、ここはオイラのスペースだしウソでもなんでもない正直なハナシだから書くよ。


2022年のサッカーワールドカップで、日本が次々とジャイアントキリングを繰り返してさ。日本中が大いに盛り上がったよな。普段サッカーを見ない人たちも、徐々に注目し出して「リアルタイムで見るぜ」ってテンション上がってた。

最終的に日本は決勝リーグには行ったものの初戦敗退しちゃうんだけどさ。そこで「日本代表が負けて悔しい!」って言ってる人たちがSNSとかで割といたんだけど。

オイラちょっとそこに違和感あるんだよな。「残念だけど悔しい。。のか?」って思っちゃうんだよ。


そりゃ当人たちは悔しいぜ。選手たちや監督たち、あるいはサッカー関係者とかはさ。「あそこでああしてれば」とか、「もっと何かできたかも知れない」とか思っちゃうから、そりゃ悔しいだろうぜ。

でも、観客の悔しさは、正直オイラは分からないんだよな。

もちろん、「日本中が見てる」ってのは選手たちに対して良くも悪くもプレッシャーを与えていると思う。それが彼らの「負けられない」って気持ちに拍車をかけて、最終的に勝利に貢献しているケースはあるかもしれない。

でも見てただけだろ。あくまで観客。

視聴率が30%を超えたらしいんだけどさ。単純計算すれば日本で1200万人が見てるんだよ。ってことは「応援」としての寄与率は1人あたり 0.000008% しかない。これもう、ほぼ「外野」だろ。

そんだけしか寄与してないのに、何が悔しいんだ?って思っちゃうんだよ。

正しい感情は「悔しさ」じゃなく「悲しさ」とか「虚しさ」とかだと思うんだよ。悔しさ、ってのは「もっと**してれば」ってことだろ。観客にソレはないはずだぜ。だって0.000008%分しか努力してないからね。


サッカーに限らずスポーツ観戦している時、オイラは「当人」と「外野」の線引きを明確に持ってる。観客はあくまで「外野」だから、外野としての領分をわきまえなけりゃいけない、って思ってるんだよ。

悔しさも、その逆の達成感も、当人たちが挑戦と努力と引き換えに得ているモノであってさ。観客はあくまでそれを外野として観ているってだけなんだよ。外から観て、彼らの感動を間借りしているだけ。その立場をちゃんと理解したほうがいいとオイラは思う。

それを理解できなくなることが、選手への非難や無責任な知ったかぶりにつながると思ってて。実際、2022年W杯でも、日本代表の監督さんや選手に対してあーだこーだ、SNSとかで言う人いっぱい居ただろ。それがちょっと問題にもなったよな。

本田圭佑さんとかが言うのはいいぜ。彼は当人の1人だから。日本サッカー界に影響力・立場・実績を持ってる。彼は「俺がもっと日本サッカーの教育に力を入れていれば」とか思えるだろ。それはもう、日本サッカー界における当人だよ。

でも、どこぞの馬の骨が「監督があーだこーだ」ってのをSNSとかで表明するのは、ちょっとおこがましいんじゃねえか。家のリビングで家族や友人相手に言って盛り上がるだけで満足しとくべきだ。当人かのような口振りはおこがましいぜ。

まぁこれは「SNSの捉え方を間違ってる」っていう別の側面もあるけどね。


日本代表が負けて悔しさを感じる、ってのも、オイラは同じようなおこがましさを感じるんだよ。

だって、戦場に立って戦って、負けたのは選手たち、監督たちだぜ。観客は負けてないだろ。だって外野にいるだけで、戦ってないんだから。

その戦ってないオイラたちが、いっちょまえに悔しさを感じるのってどうなんだ?とオイラは思う。なんだか「挑戦すること」や「戦うこと」それ自体を勘違いしている、ってことなんじゃねえか、と。

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