狂気的に平々凡々な生活が、天才性になりうる
オイラの中の天才性。
昨日の続きだけど、ロザンさんの会話の話題から。
ロザンの菅さんが「天才たちの日課」という本を読んだとのこと。地味にいろんな人が読んでいてちょいちょい話題になっている気がする本だ。オイラも読んだことある。
ベートーヴェンとかカントとか、世界的な著名人の日々の生活について、1ページか2ページくらいの量で記載された本だ。「朝はコーヒーを必ず飲む」「必ず朝5時に起きて散歩をする」とかそういうハナシ。
で、まぁこの本は多くの示唆を富む内容だと思うけど、基本的にはエンターテイメントとして消化されると思うのさ。
だって彼らの日課の1つ1つには、共通点なんてほとんどないから。ある人は決まった時間に必ず寝ていたし、ある人は絶対飲みに出かけるようにしていた。
だから、ほとんどの場合「このルーティン、オイラと同じやん」とか「おもろいルーティンがあるんだね」とかいう風に消化されてるんじゃねえかな。中には彼らの日課の一部を取り込んでみる人もいるかもしれないけど、それも多分、気まぐれに近い行動だと思う。
でも、実はこの天才たちの多くに共通する事項があって。それは、「彼らの日課はこうです」というだけで1ページ〜2ページ埋められるくらい、「日々の行動はほぼ決まりきっていた」ということなんだよな。
自分に重ねるのはなんだかとても恥ずかしいけど、オイラも「日々の行動はほぼ決まっている」という側の人間だ。
引っ越しや健康状態等で随時アップデートはしてるけど、基本的には下記の生活をずーーっと続けている。平日 / 休日で変わらないし、実家に帰ってもほぼ同じだ。
〜 07:30: 起きる
〜 08:30: 軽い運動
〜 09:00: スタバへ行く / コーヒーを飲む
〜 13:00: 頭使う仕事 / 趣味
〜 14:00: 軽食
〜 16:00: 頭使わない仕事 / 趣味 or 運動
〜 16:30: 飯の準備
〜 18:30: 頭使わない仕事 / 趣味 or 運動
〜 19:30: 飯
〜 21:00: ゲーム / だらだら / 風呂
〜 22:00: 寝る
実際の中身はその時のブームとかによって変わるけど、「枠組み」は変わらない。簡略化して書いてるけど、飯の内容もほぼ変わらない。
友だちとの用事など、イレギュラーがあれば調整が入るけど、それでも上記の生活に収束していく。
こーいう生活をしていると、知人友人の生活リズムに比べて幾分、新鮮味に欠けるよな。
周りには割と、「新しい飯屋を次々と見つけてくる人」とか「休日になるといろんなとこにお出かけしてる人」とかが多いんだけどさ。オイラはほとんどそーいうことをしない。多少、バラつきはある生活だけど、オイラのベースにあるのは「変わらない日々」だ。
何か新しいことに挑戦する時も、オイラは「どうやって日々のルーティンに組み込むか」を考えてる気がするね。
例えば「美術館に行こう」と思った場合、オイラはそれを、日々のどこに組み込むべきかな、と考えてるね。うまく組み込めればそれをずーーっと続けるし、組み込めなければ一切行かなくなる。
一時期、毎週のように映画館いってた時期があるけど、アレはルーティンの一部になっていたからだ。今は映画館に行くルーティンがないから、全く行かなくなった。映画館に飽きたわけじゃないしむしろ好きだから、友だちに誘われれば喜々として行くけれど、ルーティンから外れれば日常の中では一切やらなくなる。そーいう性質だ。
この新鮮味に欠ける日々にちょっとした劣等感を感じた時期もあるんだけどね。
でも、オイラはコレを続けながら着々と自分の人生を好転させて、求める生活をしっかり獲得し続けている。オイラ自身は特別なことをしている自覚はない。
そこの根拠の一つに、この「変わらない日々を送る性質」・・・恒常性と言える特性があるんじゃねえかな、と思う。
オイラよりもずっと自由で破天荒な生活を送っていたり、人生においていろんなイベントが起きていたりする人のほうが、実は望むものを得られていなかったり、人生が好転していなかったりする。
自由で突飛なことをやってる人って、人生経験を積んでそうに見えるし、そーいうことして成功してる人の物語ってドラマ性あるから目立つんだけどさ。そーいう人の成功って、結局「ラッキー」なことが多いよな。ラッキーだからこそドラマ性があるんだけど。
観測範囲の話で言うと、そーいう突飛な人でちゃんと人生好転してる人ってあんまいなくて。なんか年食って日常が鈍化・恒常化して、ようやく好転してる、ってことのほうが多いのよ。
つまり、恒常性ってのはそれ自体が稀有な才能なんじゃねえか、と。あるいは、狂気的なほどの恒常性が、天才性になりうるんじゃないかと。
ただ、毎日の行動が決まりきってる人は全員天才か、というとそうでもないだろ。というか、「マジで平々凡々」って人の1日も、ほぼ決まりきってるんじゃねえかな。
これには2つのハナシがあって。「恒常性がなくても日々が変わらないケースがある」というハナシと「恒常性だけでは天才性にはならない」というハナシ。
「恒常性がなくても日々が変わらないケースがある」はすごいわかりやすくて。単純に「人生における選択肢がない」って人の日々は変わらないよな。
例えばホームレスの方々って多分、日々の生活があんま変わらないんだと思うけど、これは恒常性による人生の収束じゃなくて、ただそれ以外の選択肢がないだけだよな。彼らが例えば月収30万あったり、ちゃんと働き先があったりしたら、ホームレス時代と同じ枠組みでは生活しないだろ。
つまり、「あの人毎日おんなじ生活だよな」ってことがその人の恒常性の結果とは限らないというケースだ。これはしっかり観察すれば見分けがつくよな。
「恒常性だけでは天才性にはならない」ってのは、つまり恒常性単体では平凡性にしかならなくて、ここにプラス何かの要素を掛け合わせることで、天才性に昇華するんじゃねえかと。
オイラは「好奇心」じゃないかなーと思う。
好奇心がないと、決まりきった日常が全くアップデートされないだろ。そうなるとまぁ人生は好転しないよな。
狂気的な「恒常性」に対して、それをアップデートをするトリガーを持っている必要あるんじゃねえかと。それは「好奇心」なんじゃねえかなーーと思う。好奇心って時折、狂気じみてるからね。
でも、そこもバランスが必要で、好奇心が強すぎたら恒常性が失われる。一方で、好奇心が弱すぎたら、恒常的な日々を打ち破ることができなくなる。
だから、「恒常性x好奇心」の狂気的なバランスが天才性になりうるんじゃないかなーーと思う。