文章力は国語力x数学力 feat. ロザンの楽屋
文章構成に必要なのは国語力よりも数学力、というハナシをします。
最近、芸人コンビ「ロザン」さんのYouTubeチャンネルを見ている。楽屋で2人がテーマ決めてしゃべっているだけの動画なんだけどね。
2人とも会話のベースに論と理がある。オイラも多分、ベースは同じだからすごい聞いてて心地よいんだよな。
で、そのなかの1つに、まさに「文章書くには国語力だけじゃなくて数学力がいるよね」ってハナシをしてて。これすごいオイラの中でも腑に落ちたんだよな。
国語力ってのは何か。それは語彙力であったり、言葉の選び方、あるいは言葉の読み取り能力だったりだろ。
一方で、文章構築には、「論理」を操る能力ってのも間違いなく必要で。これは国語力じゃなくて数学力なんだよな。例えば「XXを証明しろ」ってのは数学だろ。与えられた情報から論理を組み立てて解決する、ってのは数学なんだよ。
で、文章構成ってのは、この2つの組み合わせなんだよ。国語力は手札で、数学力ってのは手札を組み立てる力。
例えば小説とか書くにしても、「起承転結を考える」ってのは完全に数学力だろ。物語の構成を考えて、どこでどーいう要素を組み込めば思ったとおりの感情の起伏を描けるのか・・・これは完全に数学力。
で、その要素要素において、どーいう言葉を使うかなーーというところは国語力。「青い空」か「蒼々とした空」か、はたまた「沖縄の海を思わせる空」か「胸が締め付けられるような颯爽とした空」か。こーいう選択は国語力だよな。
ここでどれだけ優れた言葉回しを用いても、物語の展開がグチャグチャだったら読みづらい文章になるだろ。国語力が高くても、数学力がなかったらその人の書く文章ってのは、すげーー読みづらい文章になるんだよ。
短文だったらまだマシなんだけどな。例えばTwitterのツイート、友人とのメールとかだと数学力はそんなにいらない。でも、仕事上のメールだったり、ブログ記事を書いたりといった、長文を書く場面だと、数学力は必須。
つまり、「文章力 = 国語力 x 数学力」ってこと。
で、「文章力をあげるにはどうしたらいいですか」って質問に対して、よく「本をたくさん読むといいよ」とか「小説読むといいよ」とか答えてる場面あるだろ。
もし文章力の欠如が「数学力の欠如」からきていた場合、全く的外れなんだよな。数学力がなければ、本をたくさん読んでも、その後ろにある論理構成を学習できないからね。「こんな言葉あるんだ」とか学んでも意味がない。
ロザンさんも動画で言ってるんだけど、この場合は上述したような数学の証明問題とか、あるいはパズルとかを解きまくるほうがずっと効果的だと思う。
そう考えると色々腑に落ちてさ。
オイラは、文章力はそこそこあるんだよ。こーやって文章をブログとかに書いたりできるし、仕事でも要件とかをある程度うまくまとめたりできる。でも、別に小説とかあんまり読んでないし、語彙力もそんなにないんだよ。
じゃあなんでオイラの文章力が高いのか、ってのはつまり、数学力が高いんだよ。特に、「証明問題」は学生時代からすごい得意で好きだった。
つまり、文章を書くときに数学力を応用する力に長けているんだ、きっと。
一方で、理系だったりプログラマだったりする人でも文章が下手な人もいるんだけど、そーいう人は、数学力が低いんだと思う。大学時代にも「プログラミングできるんだけど数学とか物理とか苦手」みたいな人って結構いたからね。
あと、文系で小説好きでも文章力が低い人もいてさ。そーいう人はやっぱ数学力が低いから、文章を組み立てたり分解したりってのができないんだよ。だから「何が伝えたいの?」「なんで伝わらないの?」みたいなことが往々にしておきるわけ。
仕事とかで結構「イオリさんのように文章能力を高くするにはどうしたらいいの?」みたいな質問を受けるんだけど、オイラ困ってたんだよ。
でも、今回、1つに答えが見つかったかもな。パズル解いたりしたらいいんだよ。マインクラフトとかでもいいと思うけど。