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分断された今

昨日から夏休みに入ったのですが、コロナパンデミックのおかげであんまりやることがないので、コラムじみたモノを毎日書いてみることに決めました。

普段書いているモノとコラムの違いは実はあまりよく分かっていないのですが、まぁ書き始めてみます。

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コロナパンデミックによってオイラたちの生活は変化を余儀なくされました。文字通り「どこにも行けなくなった」わけです。

仕事も家でやる。遊びも家でやる。そんな生活にガラリと変化してしまいました。

が。。あくまでオイラ個人の話で言えば、この変化「割と悪くなかった」です。

仕事の面ではむしろ願ったり叶ったりです。オイラはもともとリモートワークがしたい人間でした。どんな環境でもノートパソコン1つあれば仕事ができるように自分を仕上げてきましたし、会議や対面の会話よりもテキストコミュニケーションのほうが楽に仕事ができる人間です。会社の方もパンデミックに耐久性のあるビジネスだったので、ダメージは少なく感じます。「損せず得がきた」に近いです。

また、遊びのほうも変化は大きかったですが、家なら家で映画、読書、ギター、ゲーム。。と、十分に楽しめました。もともと大勢で遊ぶのは気を使ってしまって好きじゃなかったので、大規模な飲み会ができなくなっても問題なかった。リモート飲み会が、「大人数には不向き」というのも、いい感じに2、3人レベルの飲み会だけが生き残ってくれて、個人的には嬉しい結果です。

こんな感じで、仕事も遊びも別にそこまで困っていないのですよね。確かにできなくなったことはいっぱいあるけれど、別に残ったことだけで十分に楽しんで生きていけた。そうやって楽しみながら「コロナパンデミックが終わったら遠くへ旅行いきたいね」とか話していれば、ワクワクしつつ今を生きていけました。

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一方で、世の中では割とその「制限」が致命的なモノとして受け止められていました。

もちろん、「仕事がなくなった」「大切な人が感染した」などは致命的でしょう。生きていく希望すら失いかねないダメージを直接的に被った方々は数多くいらっしゃると思います。

ですが、一方で、「大勢で飲み会ができない」とか「旅行にいけない」「音楽ライブにいけない」「外食にいけない」などが致命的なこととして受け取っていて、一切の我慢が効かない。。そんな方々もおられるようです。

おそらく彼らは、それらがなくなると、他者と分断されてしまうような人生を送ってきたのかな、と思います。

オイラも、他者と完全に分断されてしまうのはとても寂しくつらいです。ですが、幸いなことにオイラには、会っていなくても「繋がっている」と感じられる方々がいます。「ちょっと飲もうよ」といってリモート飲みで話したり、ふとしたことで連絡してくれたり。

あるいは、オイラは映画やゲームなどの作品を通じて、クリエイタとの繋がりを感じることもできます。彼らの努力の結晶・アイデアや思想を味わうことで、彼らを感じることができる。それは繋がりです。

ですが、そういった繋がりを持てていない人。。あるいは、そんな繋がりを大切にしてこなかった人たちは、「飲み会の欠如」とかで致命的な分断状態に陥ってしまうのだと思います。

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そのような分断状態は珍しくないのだと思います。ある種の時代性と言えます。インターネットやSNSの普及によって、人が誰かと会う人数は急増しています。簡単に誰かと知り合えるようになった結果、、人は繋がりを使い捨てるようになってきています。「あなたに利益のない人間関係は切り捨てるべきだ」という言説もよく耳にします。相性の悪そうな人間を切り捨て、足りなくなったら補充する。。そんなふうに人間関係の築き方が変わってきています。

そんな彼らは、補充できなくなった世界では繋がりはいとも簡単に切れてしまい、分断されてしまうのです。なので、「会えない」ことが致命的になってしまう。分断に耐えられないから、無理矢理にでも誰かと会って補充しようとする。

簡単に誰かと会えなくなった今、オイラたちは「繋がりを大切にする」ってのが重要になるんじゃないかな、と思います。