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ヒトが人間になるために

オイラは基本的に女性は大切に扱いたい人間です。

と言っても自身をフェミニストと呼ぶほど、自分に正義があるとは思っていません。ただ、「女性には紳士的に振る舞ったほうがかっくいいよね」という価値観なだけです。それを一貫しているだけです。

(まぁそもそも誰に対しても紳士的に振る舞った方がかっくいいので、そこまで男女という区別は持っていませんが。。女性にも男性にもドアをあけますしね。。)

ただ一方で世の中には、女性を食い物にする男性っていうのも少なからず存在します。それは、わかりやすく「バーで酔いつぶれた女を持ち帰る男」の場合もあれば、「職場で女性社員にセクハラする男」の場合もあります。

ヒトも所詮は動物なので、繁殖するための機能が満載です。雄の繁殖機能とは、「より多くの雌と交配して自分の遺伝子を残すこと」なので、雄がより多くの雌と交配したくなる、あるいは交配してしまうのは、雄に搭載された機能です。

が。

オイラはそれを「人間」とは呼びません。「ヒト」あるいは「ホモ・サピエンス」と呼びます。そこには人間性がないからです。

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人間と、ヒトとの違いはなんでしょうか。

オイラはそれを「意識」だと思っています。哲学の分野ではクオリアとも呼びますが、簡単に言えば「意識」です。

みなさん誰しも頭の中に「意識の世界」があると思います。それらは、身体機能に反応してみなさんに「体験」を与えています。

みなさんが感じている「体験」というモノの正体は、21世紀現在をもってしても、明らかになっていません。それどころか「明らかになることはない」ということが証明されています。

つまり、「すべてには理由・因果があるはずだ」とされている現代においてさえ、みなさんは「どこから来ているかわからない何か」を常に体験し続けているのですね。

また、「意識」というものは、本来ヒトには全く必要がありません。

たとえば「痛覚」はヒトに必要なものですが、痛覚を感じた時、オイラたちの意識が「痛い」という感覚を味わう必要はないのです。ロボットのようにアラートをあげるだけでいいはずなのです。

実際、ロボットに痛覚を与えるなら、それはセンサーの反応に応じて「痛いです」と発言し、そのセンサー周りを点検するようなプログラムを書くだけでいいはずです。本当に「痛み」を発生させる理由はありません。

それなのにオイラたちの「意識」は無駄に「痛い!」という感じを体験してしまいます。増えるためには全く必要がないのに。

オイラは、それこそが「ヒト」という動物が、「人間」という存在にし得る何かだと思います。臓器や細胞という歯車によって構成された「動物」が、その歯車から脱却できる可能性が「意識」という存在なのかな、と。ヒトは、意識を持つことで人間性を獲得し、人間になれるんじゃないかな、と。

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ところが現代は、人間を「ヒト」に貶めようとするモノでいっぱいです。生命としては、それは正しいからです。上述したように、ヒトは増えるために生きているからです。全ての歯車はより増えるため、より残るために回っているのです。

その視点に立てば、「バーで酔いつぶれて交配できそうな女」は、持ち帰って食い物にするのが、ヒトの雄としては正解です。ヒトはそうできています。

でも、オイラにとってそれは人間ではありません。そこに人間性はなく、ただ遺伝子を残したい雄です。遺伝子が残せれば誰だっていい。相手が不幸になろうと、なんだろうと、遺伝子が残せる可能性が増えればいい。それが「ヒト」です。

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ヒトは、ヒトのままでは幸せになれません。なぜなら、ヒトの目的は「増えるため」だからです。ヒトは増えるためなら不幸にもなるし日々を退屈に過ごしてしまうのです。増えるためなら、誰かを食い潰し食い潰されるのです。そういう仕組みです。

別にそう生きるのが悪いとも言いません。それがヒトとしては正しいのですから。

では、「あなた」は「ヒトが増えるため」に生きたいのか。「ヒトとしてのあなた」ではなく、「意識を持った人間であるあなたは」は、「ヒトが増えるため」に生きたいのか。

繰り返しますが、それが悪いわけでも間違っているわけでもありません。今訴えかけているオイラのほうが、ヒトとしては間違っているのでしょう。淘汰されるべきはオイラのほうでしょう。

でも、もし違うと言うのなら。

もし誇りや尊厳、あるいは幸せや楽しさなどを諦められないなら。あるいは愛や友情、つながりというものを持ちたいのなら。

「人間性」だけは失ってはいけないのだと、オイラは信じています。

なぜなら、それらは「繁殖するためには全く必要がないですが、とても大事なもの」であり、その点でオイラたちが持つ「意識」と全く同じだからです。

人間性を捨て、ヒトとしての動物性に身を委ねたとき、オイラたちの中で人間性=意識は本当の意味で価値を失い、「死んだように生きる」ことになるのだと、オイラは思います。

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人間とヒト、どっちが大変かと言われれば、多分、ヒトのほうが楽なんだろうな、とも思います。

オイラだって、もっとバカになれればよかったのにだとか、人間性を捨ててしまったほうが楽なのにだとか、何度思ったか知れません。

とはいえ、オイラは覚悟を持って人間であり続けます。そうしないとオイラは、在りし日のオイラや、未来のオイラに対して胸を張って生きれません。

何より、そこを捨ててしまったらもう二度と、落ちていく夕日を穏やかに見ることができなくなってしまう気がするのです。

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ここまで書いて思いましたが、オイラのヒトと人間のハナシって、ニーチェの人間思想にむっちゃ似てますね。ニーチェ的に言えば、ヒトは「畜群」であり、人間は「超人」ですね。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E4%BA%BA

あと、書き出したときは全くこんなことを書くつもりはなかったのですが、気づいたら書いていました。また今度。