進撃の巨人、最終巻での、すごく好きな会話
「進撃の巨人」が完結しましたね。
先に言っておきますが、この記事は進撃の巨人のネタバレを盛大に含むので、まだ読んでいない人は早く読んでください。
いいですか?
さて。
進撃の巨人が完結しましたね。
おそらく世間では色々言われているとおもうのですが、オイラ個人的にはものすごく好きな終わり方でした。
それを語ります。
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オイラが何よりも良いな、と思ったのが「ジークとアルミンの会話」でした。
ジークは、エレンとの戦いに敗北し、計画も破綻してしまいました。そして「道」の中で、ただエレンの行動を眺めるだけでした。
そこにアルミンが現れます。そして助力を願うわけですが。。ジークはそれを拒否します。
「生きる目的とは、”増える”こと」
「そのために、減ることに対する恐怖が生まれた」
「結局、その上で人は踊らされているだけに過ぎない」
そんな死生観に至ったジークは、計画が破綻してしまい、負けた現状を悲観していません。むしろ「無意味に踊らされる人生から解放された」とばかりに心静かな様子です。
そのため、アルミンの助力に対する意味が見出せないわけです。むしろ負けて無意味な恐怖から解放されるなら、それでもいいじゃないか。そんなにしてまで、まだ増えたいのか、と。
そこでアルミンは、ある想い出を語りはじめます。それはまだ壁内が平和だった少年期の頃。エレンとミカサと追いかけっこをしていた日の想い出です。その時、アルミンは空の綺麗さ、風の気持ちよさをかんじながら、こんなことを思ったそうです。
「僕たちは、ここで三人でかけっこをするために生まれてきたんじゃないか、って……」
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ここの会話は、本当に素晴らしいな、と思います。
オイラも、昔から「生きることに意味なんてない」と思っています。少なくとも客観的には生きることに意味なんてないです。強いて言えば繁殖するためでしかありません。そーいう生き物だからです。
それ以外の「生きる目的」ってのは、結局ただの思い込みでしかないのですよ。
でも、だからこそ「思い込める瞬間」ってのは尊く、素晴らしい瞬間なのですよ。むしろそこにしか生きる意味はないです。なので、オイラはずっと、その「瞬間」を追い求めています。そこに全てがあるし、そこにしかないです。
そして、その瞬間というのは、然して重大なイベントではなく、なんでもない瞬間であることが多いです。
たとえば旅行に行った時とかも、遊園地でむちゃくちゃはしゃいでいる時じゃなくて、「次の旅行、どこいこうか」とか話している瞬間だったり、帰り道電車にゆられて話している瞬間にこそ全てが潜んでいる気がするのですよね。あとになって思い返すのって実はそーいう何気ない瞬間なのですよね。
散歩していたら空が綺麗だった時とか。
カフェで友人がくるのを待っている時とか。
友だちへのプレゼントを選んでいる時とか。
少なくともオイラにとって生きる意味とはなんでもない瞬間なのですよね。アルミンが言っていたのと同じような。
「これは増えるために必要でもなんでもないけど、すごく大切なものなんですよ」
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でもなんでもない瞬間って、ないがしろにされやすいのですよ。だって何もなさそうに見えるから。
だから人は油断するとイベントを詰め込みたがり、特別な何かを体験しようと躍起になってしまいます。
異業種交流会や勉強会に参加してみたり、マッチングアプリで誰かが探して会ってみたり、あるいは脱出ゲーム会みたいなのに参加してみたり。新しいガジェットを買い漁ってみたり。
もちろんそれらが悪いとは言わないですよ。
でも、その周りになるなんでもない瞬間を感じ取れないなら、満足することも実はないんじゃないかな、とオイラは思ったりします。「思い込める瞬間」ってのは思い込もうとしたらむしろ遠ざかりますから。
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ジークはアルミンから受け取った「なんでもないけどすごく大切なもの」を眺めながら、かつて親しかった父親がわりの人、「クサヴァーさん」との日々を思い返します。
「なんの意味もない……でも確かに」
「俺はずっと、キャッチボールしてるだけでよかったよ」
そしてジークは行動を始めます。クサヴァーさんとキャッチボールをするためにまた生まれてきても良いかな、と。そう思って人類滅亡を止めるために動きはじめるわけですね。
そしてその時、人類滅亡を止める最善手は、「ジークが死ぬこと」なので、ジークは無防備な状態でリヴァイの前に姿を現し、そして命を落としますが。
その最後のジークの言葉も好きです。
「いい天気じゃないか」
「もっと早くそう思っていたら」
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なんとなくですけど、こーいう後悔をしないように生きていきたいですね。