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Stay Gold, Ponyboy.

センスとは「量」から来る、という話の深掘り

今日は「センス」についてちょっと深掘りしてみます。

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最近、オイラはよく「センス」という言葉を使います。人によって解釈が曖昧なので注意して使う必要がある言葉です。(それこそセンスが悪い人が使っていい言葉じゃないです。)

センスとは「良し悪しを嗅ぎ分ける感覚」です。まぁ「センサー」の語源くらいだと思ってください。「センスが良い」とは、「良いもの・悪いものを判断する感覚が鋭い」ということです。

センスとは感覚なので、センスの違いは主にスピードの違いです。

センスが悪くても、賢い人なら入念に時間をかければ良いモノ・良い判断を行うことができます。ただし、賢い人が1日かかる判断に対して、センスが良い人は1秒で判断できます。

ただし、これは決して当てずっぽうではなく、センスの良い人の判断にも裏にはちゃんと論理があります。ただ、その論理を感覚レベルで引き当てているだけです。

また、もう一つの大きな違いは「気付けるか否か」です。

たとえばポスターデザインの監修をしていたとします。デザインセンスのいい人は、デザインの草案を上げられただけで「飾る場所によってはこの文字見えないよね」とか「目立たせたい場所が目立ってなくない?」とか気づけますが、センスが悪い人はそもそも気付けません。「この草案の悪いところを10個あげてください」とか明確に指示する必要があります。

という感じで、まぁセンスってのはむちゃくちゃ重要です。スピード感の求められる世界ではコレが生死を分けると言えます。

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センスについて話すと、センスのことを生まれついた能力のように言う方がいますが、違います。センスとは「やってきた量」によって気づけます。

わかりやすい事例で言えば、「むちゃくちゃ絵を書いてきた人」って絵を描くのが上手いですしスピードも速いですよね。彼らは生まれたときはゴミみたいな絵しか描けなかったけど、膨大な量をこなす上でセンスが磨かれていったわけです。手や身体を動かす分野でのセンスは「量」が目に見えやすいのでわかりやすい。

思考分野におけるセンスでも同じです。デザインセンス、企画センス、文章センス、人たらしセンス・・・全部は「量」から来ています。量の前には、生まれ持った才能なんて誤差でしかないです。思考分野における「量」は他人からは見えづらいので、「生まれ持った才能」だと勘違いしちゃうわけですね。

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思考分野のセンスにおける「量」とは何か。それは、「聞き耳を立てて普段過ごすこと」です。

たとえばデザインセンスの良い人は、常に「良いデザインと悪いデザインを分けるものは何か」という視点を持ちつづけて生活しています。レストランのメニュー、街中のポスター、折込チラシ、映画館や本屋さんで見かけたもの。。全てに対して「これは良いデザインだな」「このデザインはちょっと意味ないよね」とか、デザイン視点で考えています。

そーする中で「なるほど、こーすればメッセージが届きやすくなるんだ」とか「あーコレのせいで台無しになってんだな」とか法則性を見出していって、それが汎用性の高い「センス」として表出するわけです。

(これが、「センスの裏に論理が潜んでいる秘密」です。)

こーいう人は、「四六時中、考えている状態」を無意識に続けているので、たとえば「休日勉強している人」とかに比べて圧倒的に量が違います。そこがセンスの違いとなって明確に現れます。

なので、センスが良い人からすると、センスのない人は敵じゃないです。いつでも余裕で勝てる存在です。センスのない人が「よし!分析して正解を出すぞ!」と時間をかけて行うことを、センスが良い人は「正解はコレです。」と1秒で答えを出せます。普段から考え続けているからです。

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センスというものは放っておけば劣化するモノでもあります。センスの良さを維持するには、常に何かに触れて刺激を与えて、センスを磨き続ける必要があります。

だからこそ、そもそもセンスのない人は、劣化する一方なので歳を重ねるごとにその差はグロくなります。センスがない人は30歳〜40歳くらいで、一般人以下のセンスに劣化しきってしまい、老害と呼ばれるようになります。埃を被ったセンスで若い人たちに迷惑かけるだけの存在に成り下がってしまいます。

一方で、センスを磨き続けていれば、その鋭さは普通の人が到底及ばないレベルにまで伸ばすことができます。偉人級の方々の情熱大陸とかドキュメンタリーを観ると、彼らがセンスを磨き続けている姿を拝むことができます。

たまにテレビとかで偉人級の人が出た時、「えっ!それ毎日やってんの!?」と驚かれる人がいますよね。そーいうことです。毎日やってるんです。

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ということで今日はセンスの話をしました。オイラも30を越えてきて、「センスの差」・・・言い換えれば「量の差」というものが色濃く見えてくる年齢になっています。大学の頃とかはそーでもなかったのですけどね。

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