no-image

映画「劇場」を観た。オイラ個人的にはすごい好きだけど評価はバッサリ分かれそうですね。

「劇場」という映画を観ました。又吉さんの小説が原作らしいです。

コロナウィルスの影響を受けて、映画館公開と同時にAmazon Primeビデオでも公開された映画です。

この映画が個人的にむちゃくちゃ面白かったので、それについて書きます。

以下、ネタバレも含むと思うのでお気をつけて。多分、読む前に映画見た方がいいと思います。


この物語は、売れない劇作家の男・永田と、上京してきた女優志望の女性・サキとの関係性を描いたハナシです。

永田は、いわゆる「不器用でどうしようもないダメ男」で、サキは対照的に「可愛くて普通に良い女性」です。その2人が出会って、付き合って、長年一緒に過ごす、その関係性を描いた物語です。プロットとしては別段、新しいわけではないですね。現実世界でも「ダメ男と付き合って苦労している良い女」ってのはありふれていますし。

この物語に大きな場面展開というのはありません。恋愛映画として良くある「恋人同士になる決定的なイベント」もないし、「関係性に変化をもたらすインパクトのある登場人物」もいません。じゃあ何が物語の起伏や展開をもたらしているのか。

それは、演技や演出によって生まれる「行間」です。

たとえば、何気なくサキが「カットモデルに声をかけられちゃって」と言いながら待ち合わせに来るシーンで、ふと流れる一瞬の気まずさであったり。

「今日はいいことがあったの?」「なんでわかんの」「いいことがある時はいつもそうじゃん」という会話の中で、劇中には描かれていない日常を感じさせてくれたり。

そういう演技・演出で表現された「行間」が、物語をゆっくりと静かに、確実に展開させていくのですよね。それがオイラにはたまらなく心地よかったです。

ただ、この行間を感じ取れなかったり、そーいう行間を感じさせる人生を送っていなかったりする人は、何も伝わってこないんだろうなあ、と思います。単に「永田、クソ野郎だな」とか「サキ、さっさと別れればいいのに」とかで終始するんだろうなあ、と。


そもそも現実におけるオイラたちの日常や人間関係だって、明確な起承転結なんか、なかなかないですよね。恋人生活って、どっちかっていうと「ズルズル」の部分が大半だと思うのですよ。

その中にある、忘れてしまうような些細な物事が、ゆっくりと関係性を進めていく。なんでもない習慣が絆を深めたり、しょーもないことでちょっとだけ関係性が軋れたりする。一気に関係性が進むような大事件、ってほとんどないですよね。

オイラの観察範囲でも、「あまり良い関係性ではないけどズルズルと別れずにいる/いた」という人たちは何人もいます。そして何年もかけて、関係性が静かに深まっていく。あるいは、静かに壊れていく。オイラにだって思い当たる節はあります。

なので、そういう人間関係がゆっくり進み、時折何かが溢れながら進んでいく、この「劇場」という物語は、とてもグロテスクな部分を描いている気がしました。


物語の途中から、2人の関係性の軸が「永田中心」から「サキ中心」に入れ替わるところ、その鮮やかさが、この映画の一番のキモなのだと思います。

最初は、永田の不器用さやわがままに優しいサキが付き合い、合わせる、という関係性なのですよ。サキの何気ない行動で永田がイラつき、サキが謝ったり、あるいは癒したりします。

それが、途中から変わってきます。と言ってもサキが強く主張したりわがままを言ったりしてくるわけではありません。サキを傷つけてしまった自覚のある永田が申し訳なさからサキに気づかいだしてくる。そこから徐々に、「サキに対して永田がリアクションする」という構図に変化してきます。

もちろん、そのリアクションの中にはサキを傷つける部分もあるのですが。関係性のベースが「サキ中心」に変化している。映画としても、永田を軸に描いていたはずなのに、サキが浮かび上がってくる。

そこの描き方が妙にリアルと言いますか。まぁオイラも別に男女関係が多いわけでは全くないですが、この「関係性の逆転」っていうのはすごくリアリティを感じて興味深かったです。


いわゆるダメ男・クズ男である「永田」ですが、そんな彼のクズさ加減も、おそらく男性が普遍的に持つ部分だな、とオイラは思います。

相手のことを思っているつもりでも、結局は自分本位な優しさになってしまっている。「かっこつけたい」けど「優しくしたい」という、男が持つ照れと自尊心の歪んだカタチが、永田という男に表れています。男における「恋は盲目」を体現しているといいますか。

永田を「クズ男」と論ずるのは簡単ですが、多くの男たちが共感できるとも思うのですよ。少なくともオイラは共感できます。

永田は劇中、サキから「大学の男友達からバイクもらった」と嬉しそうに言われて、とても不愉快になります。サキは全くそれが理解できず、無邪気に「乗ってみる?」などと笑いながら言うのですが、それすらも永田をイラつかせ、最終的にはボコボコに破壊してしまいます。

行動自体は客観的に見ると「クズ」でしかないのですが。一方で、理解できる感情なのですよね。というか、男なら抱きがちな感情ではあると思います。それを多くの人は「ダメダメ、みっともないぞ」なんて言い聞かせて蓋をするだけで、「なんだよ、その男友達って」と感じるところまでは、割と普遍的だとオイラは思うのですよ。

他にも、彼女の家に転がり込んでおきながら、「俺の家じゃないのに、俺が光熱費払うの?」って言ってしまう部分とかも、間違いなくクズなのですけど、感情までは理解できます。

オイラと永田との違いって、多分「生活における余裕」なのですよね。オイラは一応、ちゃんと働けていっぱしに生きていけている。だから、家賃折半も当たり前のようにするでしょうし、彼女が他の男友達からバイクをもらっても「おトクじゃーーん」って笑えます。

一方、永田は花開かない夢見る劇作家なので、まったく余裕がない。永田は「サキがいなくなればおしまい」と本人が思うくらいにまで落ちきっている人間なので、「サキが他の男にとられるかも」と思うだけで感情が抑えられなくなるし、光熱費を払うのだって一大事。

言ってしまえば、人生における余裕の違いが、「感情までは理解できるけどやらない」と、「感情の歯止めができない」の違いなのかな、と思います。


色々書きましたが、この映画は、刺さる人にはものすごく深く刺さり、刺さらない人には一切刺さらないだろうな、と思いました。住んでいる世界の違いが明確に出るだろうな、と。

実際、オイラの友人の一人は「よくわからんかった」「何もなさすぎた」と言っていました。多分、人生体験の違いだろうな、と思います。頭が悪くなるほど誰かを好きになった経験とかがなければ、何も伝わらんだろうな、と思います。