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プログラミングは、才能のある人間だけのものじゃない

プログラミングって才能ある人たちだけのモノじゃないよね、というハナシをします。


オイラは「さよなら私のクラマー」という高校女子サッカー部を描いた漫画を読んでいるのですが、とてもたのしいです。有名な「四月は君の嘘」という漫画の作者さんが描いています。

その中で、とある高校の監督が言った「フットボールは才能のある人間だけのものではない」という言葉がすごい心に残っています。

この言葉を言った監督は、「才能のない部員のチームでも勝てるようなシステムを作る」という哲学を持っているのですね。天才に頼ったチームや戦術は、天才がいなくなった瞬間に脆くなります。そのため、「才能のない部員でも勝てる戦術こそが安定した強い戦術だ」と考えているわけです。

さて。

オイラはこの言葉をプログラミングとかにも言いたいです。プログラミングは、モノづくりは、才能のある人間だけのものではない、と。


才能については、「ブルーロック」という別のサッカー漫画で出てきた定義から引用します(漫画ばかりで恐縮ですが)。

曰く、「才能とは、己の能力を証明する力」です。自分の実力をアウトプットした際に、「どうだ、能力が高いだろうが」と示し、周りに同意させてしまう。それが「才能」です。

プログラミングを生業にしていると、才能の差が明確に見える瞬間が多々あります。「実装が速い」「知識の引き出しが多い」などです。

こちらが精一杯努力して身につけた技術力を、「たのしいから走り続ける」というような人が余裕で追い越していき、「才能」を見せつける。少なくともオイラは、そんな瞬間を頻繁に感じます。

でも、「プログラムを書いてモノを作ること」および「その楽しさ」、さらに「それが誰かに使われて、喜ばれる嬉しさ」って、才能ある人たちだけの特権ではないとオイラは信じたいです。

たとえば、TwitterあるいはFacebookは世界中で使われていますが、彼らのアイデアのコアはとてもシンプルです。決して「技術力が高いから」ではありません。TwitterやFacebookは、当時、「誰でも作れた技術」を使って、構築されています。


もちろん、プログラミングの才能が必要とされる場面はあります。たとえばFBIのセキュリティエンジニアなどになろうものなら、プログラミングの才能があったほうが良いに決まっています。彼らは世界最高峰のプログラマを相手にしないといけないので、才能がある人のほうがいいです。

でも、「才能がない人が輝ける場所だってあるんじゃないの?」とオイラは思います。

世の中のプログラマの仕事の、その全てが「才能のある人間がやったほうがいい」というわけではないからです。

執筆時点におけるオイラの職場では、オイラよりも才能の溢れたエンジニアが多いですが。一方で、開発要件の中には「超重要な機能だけど、そんなに才能がなくても開発できるよね、これ」というモノも多いです。

そーいうモノを上手く捌ければ、才能がない人たちでも、才能のある人たちと同じような「モノづくりの喜び」と「成功」を味わえるんじゃないの?とオイラは思います。