no-image

複雑な問題は、シンプルな問題にしないと人間には解決できないのですよ

「仕事の複雑度の高めてばかりいると、仕事をやったフリが見分けられなくなるよね」という話をします。


オイラは基本的に物事をとてもシンプルに見ています。それは、「複雑なことを考えられないから」という理由です。

そもそも、人間って、そんな複雑なことを一度に考えることはできないのですよ。

たとえば、どんな数学的証明も、基本的には「シンプルな一行の式」の積み重ねです。複雑な式を処理できないから「この式をxとする!」とかしているわけです。

力学方程式のひとつに「質量x加速度=力の強さ」というものがあります。とてもシンプルですね。

このシンプルな式には、「加速度」という単語が含まれていますが、この加速度は「速度を微分したもの」という式のことです。つまり、最初の式は「質量x(速度を微分したもの)=力の強さ」となるわけです。

さらに「微分ってなんやねん」と言うと、それもシンプルな式が潜んでいて。。という感じで、一見してシンプルな力学の方程式も、「実はめっちゃ沢山のシンプルな行が積み重なっている」というシロモノなのです。「力の強さ」とは様々な要素が絡み合っている複雑な式から成り立つのですが、それをわかりやすいように分解して「シンプルな式の組み合わせによってできるシンプルな式」というシロモノにしているわけです。

そしてこれは、「ある事象を突き詰める場合、めっちゃ沢山のシンプルな行にちゃんと分解しないと、えげつない複雑さになって扱えきれなくなりがち」ということでもあります。

要するに、人間が「複雑な物事」に相対したときに有効な一手となるのは「シンプルな式に分解する」ということなのです。


複雑な課題を複雑なまま進めていると、「解決できない」という大きな問題に直面します。

先ほども言ったように、人間は一定以上の複雑度を持った事象を処理できません。なので、複雑な課題の解決しようとしても、「あるシンプルな一面での解決策」しか実行できないのです。

たとえば、「2つ以上の変数を同時に処理できない生き物A」を想像してください。その生き物Aにとって、先程の「力の強さ」の式(質量x加速度)は、複雑すぎて理解できません。

生き物Aがその複雑な式に複雑なままで取り組んで、「とりあえず何かにぶつかるときの【速度】が速いほど力が強まるようだ!」と思いついたとします。ただし、彼の能力では「質量と速度がともに関係している」ということは複雑すぎて理解できないので、質量を度外視して速度ばかりを高めるのです。

そうすると、「速度」という面では数値が高くなっているので「力」が強くなります。ただし、その代償として「質量」を削ってしまう可能性があり、「あれ、速度を500倍にしたのに、思ったほど力が強くならないなあ、これじゃあ基準点に満たないぞ」というような状態になりかねないのです。場合によっては速度は悪化してしまいます。


まぁこれは極端な例ですが、「自分が理解できる複雑度を超えた課題に対応しようとすると、特定の面でしか解決策を講じれない」という構造としては同じです。

たとえば、「うちの会社は生産性が悪いゾイ!どうすればいいんだゾイ!」という課題があったとします。

この「会社の生産性」というのはいろんなものが絡み合った複雑な式です。何が影響して生産性があがるのか、一見しただけではわかりません。まずは「どーいうシンプルな式の組み合わせなのか」「どこかにシンプルな式はないか」ということを洗い出し、人間がちゃんと認識できる形式に分解・変換しないと、上述した生き物Aと同じ失敗をしてしまうのです。

たとえば、「社員のモチベーションをあげるべきだ」と思って社員にやる気を出させるような研修をした結果、成績上位10%の社員の離職率があがってしまい、全体の生産性は下がってしまった、というような問題は、まさしく「複雑な問題をちゃんと分解しないまま、ある側面だけを見て行動してしまった結果、別の式が動いて生産性が下がった」という状況なのですよ。


ちなみに、「会社の生産性」という単語も、実はちゃんと分解してあげないといけないです。

本来ならば「一定の時間内における生産量の多さ=生産量÷時間」なのですが、実は「生産性」という言葉は「どれだけ生産しているか=生産量」と誤認してしまいやすい言葉なのです。

これは、「◯◯性」という単語の中で「一定時間内で」という意味合いが含まれている単語が少ない、というのが原因です。「重要性」「希少性」「可読性」「急性」「一過性」など。すべて「どのくらい◯◯か」という意味合いなのです。

なので、「生産性」という言葉を「どのくらい生産しているか」と認識しても仕方がないのです。同じような成り立ちの単語がそーいう構造だからです。一見すると1つの変数しかないように、複雑度を誤認してしまうのです。(実は「時間」と「生産量」という2つの変数からなるのに。)

(多分、「生産速度」とかいう名前にしたほうがいいと思います。元となる英語が Productivity なわけですが、英語のほうも Productive Speed とかにしたほうがいいと思います。)

なので、「生産性」という指標で測るのは、人間にとって複雑度が高いのです。「生産性を上げるための施策」で、やたらと「時間」をかけた会議や合宿などが行われる理由は、「課題や目標の複雑度を誤認し、複雑な状態のまま解決策を講じているところ」なのですよ。

ちゃんとやるなら、まず「生産性」という複雑な単語を「生産量」と「時間」という2つのシンプルな単語に変換すること。そして、「生産量をあげるために解決すべき課題」「生産時間を短くするために解決すべき課題」をなるだけシンプルな課題にまで掘り下げ、分解し、そのあとでようやく、解決策を講じないといけなのですよ。


問題を複雑なまま置いておくことの大きな利点は「仕事をしたフリができる」ということです。「ある一面においては成果をあげた」という言い訳ができるのです。

オイラはよく「その会議やる意味あるんですか」という話をします。「会議の生産性」に関する大きな問題は大抵、「生産量対して時間がかかりすぎる」ということなのですが、大抵の返答は「でも、この会議がなかったら生産量は0だった」という、「0点じゃないからOK」理論です。

こっちは「5点をとるのに時間がかかりすぎる」という課題を突きつけているのに、相手は「時間」を度外視しているのでオハナシになっていないのですが、複雑なままだと「でも成果はあげているんだもーん」という一面だけで仕事をしたフリができるのですよ。

まぁ、ちゃんとしてる人は「時間がかかってる、っつってんだろバカだなあ」と把握できるのですが、「仕事をしたフリができる組織」というものはまぁ、みんな頭が悪いか、まじめに仕事するつもりなんかないんだろうなあとオイラは思いますね。