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Stay Gold, Ponyboy.

人が頭を使って考えたことなんて大抵間違っている

「人が頭を使って考えただけで答えが出るなら苦労はしない」という話をします。


「自分たちが頭を使ってしっかり考えれば正解やそれに近い素敵なものが出てくるはずだ」と考えている人は割と多い気がします。

上記のことは、科学の世界ではすでに「そんなことはなかった」という結論で終わっています。

なぜなら、科学の世界では「人間が頭を振り絞って導き出し、長年使ってきた理論や法則は、実は間違っていました」というような事実が次から次へと出てきており、科学屋さんはみんな辟易しているからです。


例えば「天動説 vs. 地動説」。天動説は1,000年以上にわたって「通説」として信じられてきていたわけです。そして、1,000年以上にわたって、天動説で世界は平常運行していたわけですよ。なぜなら、「多少の誤差」程度しか計算に狂いがなかったし、当時は「地面が動いているならなんで鳥は取り残されないんだ」などに反論できる事実がなかったのです。

ところがどっこい、ガリレオ・ガリレイが「慣性の法則」を実験で確認して「鳥が取り残されない理由」を証明し、他にも様々な実験や確認をして「事実はこうなので、あなたたちが言っていることは間違いでーーす」ということを証明してしまったわけです。


他にも「量子力学」の世界は「人の頭で考えることの限界」をわかりやすくしていると思います。「シュレディンガーの猫」は有名ですね。

量子力学の世界では「光は波であり、粒子である」という認識がされています。

こう言われて皆さんどう思います?例えるなら「音波とは実は粒子である」と言われているようなものです。たいていの人は「いやいや、波であり粒子って意味わからんやん。」となりますよね。

正解です。多くの科学者もそう思いました。長年、「光は波」派と「光は粒子」派が闘いを繰り広げていました。ある時は「波」派が「光は波であること」を証明する実験結果を叩きつけ、そこに「粒子」波が「光は粒子であること」を証明する実験結果で殴り返す。。そんなやりとりがありました。

その結果、「どっちも事実なんだから、光はある時は波であり、ある時は粒子なんだよ!」という、おおよそ人間には理解しがたい事実を事実として受け止めて、その上に量子力学があり、量子コンピュータなどが実現しているわけです。(これに匙を投げた科学者もいて、その内の一人がシュレディンガーさんです。)


他にも「相対性理論」なんかもそうですね。

「移動距離=速さ x 時間」というのは物理学における前提です(そういう名前だと決めた。)。

で、この速さには「相対速度」という概念がありまして、簡単に言えば「自分が30km/hで移動している時、50km/hで動いている物質は50 – 30 = 20km/hに見えるよね)という、アレです。

ところがぎっちょん。

光を見ていたところ、いくらこっちがスピードアップして相対速度を変えても、移動距離(相対的に見た移動距離)が変わらない、という実験結果=事実が得られてしまったのですね。今まで「時間は不変だ」と信じてきていた科学者たちはこの矛盾に頭を悩ませてきたわけです。

そこでアインシュタインさんは「速さを変えて距離が変わらないなら、時間を変えるしかないじゃない」という発想から、「速度が光に近づけば近づくほど、時間がゆっくりになる」という、みなさんもよく知るびっくり仰天の「特殊相対性理論」ができたわけです。

これらは別に「科学屋さんたちの不思議な世界の話」ではなく「私たちが生きている世界の話」で、実用化もされています。量子力学は量子コンピュータに使われていますし、特殊相対性理論も超高速で動くGPS衛星の誤差調整に使われています。


まぁこんな感じで、科学の世界では「人間が一生懸命考えたことが間違っていた」というのが日常茶飯事なので、もはや「こういうことを考えました」というだけの論文は基本的に価値が低いとみなされています。「それを証明する事実はあるの?」という質問を乗り越えられない研究に価値はないのですよ。


そもそも構造的に、「事実」は「理論」よりも強いです。

たとえば、ある研究者Aさんが「白いカラスはいないこと」を証明しようとした、として。

これを証明するためにAさんが「一億羽のカラス」を調査して、そのすべてが黒かったので、「世界中に散らばる一億羽が黒かったので、白いカラスはいないこととする!」と発表したとします。

ここ大事なのは、Aさんが確認した事実は、「一億羽のカラスが黒かった」でしかない、ということです。つまり、「白いカラスはいない」はまだ「理論」「説」の段階なのです。

ここでBさんが「えっ、オイラ、白いカラス持ってるけど」という事実を発表したらどうなるでしょうか。

Aさんが一億羽のカラスを調べた事実はすべてゴミとなってしまうのです。だってAさんが持っている事実は「一億羽のカラスが黒い」であって、「白いカラスはいない」ではないから。

「白いカラスがいない説」という理論は、「白いカラスがいた」という事実とぶつかったら100%負けるのです。


なので、現代科学では、基本的に「事実と事実のぶつけ合い」をしています。理論をぶつけたところで泥仕合になるし、正しい可能性も高くないので、「こーいう事実があった」「この条件だとこんな事実があった」という実験や調査の繰り返しです。人間を扱う心理学や行動経済学の分野でさえ、ここ100年くらいは「事実のぶつけ合い」になりました。

(ちなみに「嫌われる勇気」で有名になったアドラー心理学は、事実(=エビデンス)がないので、理論であり、まだ「正しいかもね」の段階だったりします。多くの心理学者が今なお研究中のはず。)

現代科学は何千年もの時の中で「人が考えたことは仮説の域を出ないので、事実を集めよう」という方針になったのです。


逆に言えば、「自分たちで考えれば正解が出るはずだ」という間違いは人間が何千年という歴史の中で繰り返してきたことなので、人間が陥りやすい「思考バイアス」の一つなんだとも思います。

それこそ自然界の中では「自分の周りの世界だけ解明できればよかった」し、「遠く離れた世界とコミュニケーションなんてとれない」し、「悠長に実験なんかしてたら死ぬかもしれない」ので、「考えたことは間違っているかもしれないので、事実を集めよう」なんてことは考えられないのも当たり前です。

人間がそーなっているので仕方ないとも思いますが、だからこそなおさら、気をつけないといけないよねー、と思います。

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