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「不幸な境遇」は不幸屋さんの幻想

「不幸な境遇の自慢」って、構造的に不幸になりやすい行動だなあ、とお風呂の中で考えていたので、その話をします。


人ってみんな、誰かから見たらキツイ、と思われるような境遇を持っているのですよ。

たとえば、私は「親が歯医者」です。そういうと周りの人は「お金持ちじゃん」とか「羨ましい」とか色々言ってきます。

でも、不幸な面を見ようと思ったらいくらでも見られるのですよ。

親は開業医なのですが、1代目なので莫大な借金(億越え)を抱えているのですよ。歯医者の施設ってめちゃくちゃ高いですからね。60歳を超えていますが、多分まだ借金あるんじゃないかなあ?少なくとも50代突入した時点では抱えていたはずです。

そんな人生をかけた借金をして建てた診療所・兼マイホームですが、国から「この道広げるんで退去してくださーい」みたいなのを食らって1回引っ越しています。もちろん国からお金はもらいましたが、交渉が難航した結果、妥協していた記憶があります。国と交渉していた時期はほんと大変そうでした。

あとペットが飼えませんでしたね。歯医者は衛生管理めちゃくちゃ大事なので、ペット飼えないのですよ。昔から動物は好きだったので飼いたいとねだったことはありますが、「無理」でした。

引っ越しに関して言えば、親が自分の診療所・兼マイホームを建てるために隣町へ引っ越したのですが。これをきっかけに私は数年間いじめられていましたね。隣町なのですが、なんかクラス全体から目の敵にされていましたね。

あと敏感肌や乾燥肌のせいでアトピー性皮膚炎に悩んでいます。今はだいぶ気をつけているので症状はマシになりましたが、それでもふとしたきっかけで「体が血だらけで白いシャツが切れない」という状態になることがあります。

で、これらのイベントを「不幸」と捉えることは余裕でできるのですよ。だって「親は借金まみれ」だし、「ペット飼えないので孤独感があった」し。ここで書けないよーなことも色々ありました。実際、私は一度家出しています。

で、私はこれらのイベントを「不幸」だと捉えていないのですよ。だってなんだかんだ楽しく生きてきたし。「そーいうこともあったね」くらいでしか捉えていないのですよ。


「境遇が不幸かどうか」って、いかに自分の過去イベントに「不幸」っていうレッテルを貼れるかどうか、という勝負になるのですよ。

たとえば徴兵制度のある国に生まれたせいで数年間、軍隊の中で暮らし、戦場を体験しないといけない境遇だったとしても、それを「強制的に人殺しさせられる」と捉えれば不幸だし、「国を守る英雄の一員になれる」と捉えれば幸福なのですよ。

なので、私は「自分の境遇が不幸」と言っている人は基本的に不幸になりたがっているだけの人だと思っています。その人が本当に不幸なのは、「自分の過去に不幸レッテルを貼り付けていること」であって、「過去そのもの」ではないので。


もちろん、それが駄目だと言っているわけではありません。「自分の過去に不幸レッテルを貼り付けてしまう人」というのはかわいそうだなあ、と思います。それこそ過去に何かしががあって、そーいう性格になってしまったのでしょう。その点においては「不幸な境遇」というのは納得できます。

ただ、「幸せになりたいのに、不幸な境遇のせいでなれない」と思うのは間違いです。その「不幸な境遇」を作り出しているのはその人自身の「主観」だからです。不幸の原因を「境遇」に無理やり結びつけている考え方のせいなので、あなたが幸せになれないのはあなたのせいです。尖った言い方をすれば「頭が悪いから」です。

(生まれながらにして全身が痛みを這う、とか、そーいう生命活動すら危うい状態の人は、不幸を境遇にしていいかもしれないです。)

なので、自分の過去に「不幸レッテル」を貼るのはやめましょう。代わりに「ついてないや、てへへレッテル」とかを貼りましょう。「ついてないけれどそれでも幸せ」みたいな考え方ができるようになると、逆に無敵です。

はい、以上でーす。