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プログラマ蠱毒ってアリなんじゃないかな

プログラマについての話をします。主観が多いので皆さんの為にはなりません。


最近、「ブルーロック」という漫画を読んだらとても面白くて。

サッカー漫画なのですが、全国の高校生ストライカー……つまりは「点取り屋」をかき集めて一箇所に隔離し、その中で競い合わせて「最強のストライカーを誕生させる」といった趣旨の漫画です。言ってしまえば「ストライカー達で蠱毒をする」という漫画です。

(蠱毒っていうのは中国で行われていた呪術で、「大量の虫を壺に入れて蓋をして共食いをさせ、最後の1匹を神霊の類とする」ってやつです。虫苦手な人は決してググってはいけないです。)

このストライカー蠱毒(=監獄「ブルーロック」)を企画したキャラクターの主張が興味深いんですよね。

・日本人は野球などの「役割を全うしたものが強いスポーツ」が強い。

・サッカーでも「MFやSB」など役割が決まっているポジションが強い。

・逆に「クリエイティビティ」が求められるスポーツは弱い。

・ストライカーには「相手のシステムを破壊する」というクリエイティビティが必要だ。

などなど。。もちろん、いち漫画なんで「これが正解だ」と断ずるつもりはないのですけれども、割と筋は通っているし、興味深い話だなーーと思うのです。(ちなみに、東洋文化で生まれ育った人が全体主義になりがちだ、っていうのは実験でも確認されています。)

そして、これって多分「サッカー」とか「スポーツ」に限らず、いろんなところでも言えることなんじゃないですかね。

たとえばビジネスにおいても、日本産業って、先駆者や革命家としての強さはほとんどなくって、すでに競争が起きている場所に置いて「1位の座を奪い去ってそのまま走りきる」みたいな成長の仕方が多いのですよ。レッドオーシャンで勝ち抜く力ってのは結構あるんですけれど、FacebookやAmazonなどのように、「既存のシステムを破壊する」ということがあまりできないのです。

で、モノがあまりない時代ってのは「良いモノを作る」っていうことをすれば成功したのですが、モノが溢れている現代って「今あるモノの価値を破壊する=新しいモノを作る」ということをしないと成功しない。それはつまり、何が成功するかわからない時代でして、そうなると日本はめちゃ弱いのですよ。


この「ブルーロック」で行われる試練として「全員ストライカーの11vs11サッカー」というのがあって。キーパーも含めて全員、「優秀なストライカー」で試合をする、という。

で、選手達は「ディフェンスもキーパーも全員ストライカーとか、そんなの試合にならない」とか言うんですけれど、ブルーロック側は「サッカーはもともと全員フォワードだった」と一蹴しちゃうのですね。

というのも、サッカーって生まれた頃は「このゴールの中にボール入れたら1点な」くらいで始まったはずなのです。その中で、どうしても止められない攻撃に対して「ディフェンス」や「ポゼッションサッカー」などの「戦術」が生まれたり、「オフサイド」などのルールが作られたりした、というのです。

私はこの主張も割と納得できるのです。


で、これを読んでた時に「これって優秀なプログラマ育成にも使えるんちゃうの」と私は思ったのですよ。

今、日本におけるIT業界というのはとても多くの役割……つまりはポジションが存在しています。「上流工程」「マネジメント」「営業」「マーケティング」「プログラマ」「設計」「テスト」「仕様書作成」「インフラ」などなど。

多くの「エンジニア」「SE」と名乗っている人というのは、こーいったポジションや役割を担っている一員に過ぎません。

でもですね。元々、ITのエンジニアというのは全員が「プログラマ」だったのですよ。プログラマが設計し、インフラ構築し、プログラミングし、デザインし、テストし、営業やマーケティングをしていたのですよ。上流も下流も分野すらも関係なかった。全員が手を動かしていたのですよ。

そんな中、「圧倒的な個」が生まれ、その個を活かすため、あるいは対抗するために役割が生まれたのです。

日本人は「役割に徹することで成果をだす」ことがとても上手いため、「圧倒的な個」を中心とした組織づくりは得意だったのですが、いつしか組織のほうが力を持ってしまい、「圧倒的な個」が生まれなくなったんじゃないかなあ、と私は思います。

そして今、「圧倒的な個」が求められる時代に適応できなくなってしまったのでは、と。


役割や戦術が不要と言いたいわけではありません。 先も触れましたが、日本は様々な分野において「役割を完璧にこなす」ことで成功を収めてきました。今あるものを改善する。「1を100にする」という分野において日本はまだまだ強いんじゃないかなあ、と私は思います。

ただし、役割に収めようとする行為は、「圧倒的な個」の出現を妨げるのですよ。「役割に徹する者」と「圧倒的な個」とでは、必要な教育や環境が全く違うからです。

そしてここでようやくブルーロックと繋がるのですが、私は「エンジニア蠱毒」をすることで「圧倒的な個」を生み出せるのではないか、と思うのです。

全国からITのプログラマやらエンジニアやらをかき集めて一箇所に隔離し、「誰が優秀なモノを作るか」ということをひたすら競わせる。いわゆるハッカソンを、より長期間で、よりヒリヒリした環境で行わせる。勝ち残れなければ罰金&追放、くらいのがいいですね。

そーいう場所で「ひたすら作りたい、作るべきだと思うモノを作る」っていう行動を繰り返すことが、ある種の「圧倒的なプログラマ」を育てる一つの方法な気がするのですよ。


よくよく考えればスティーブ・ジョブズ&スティーブ・ウォズニアックであったり、マーク・ザッカーバーグであったり、あるいはTwitterや2ちゃんねるを作った人たちというのは、ある種そーいう世界にいたのですよ。

教育者も先駆者もいない。ただ目の前にはパソコンがあった。周りでもパソコンでモノづくりをしている人がいた。自分もそこでモノを作った。それが既存のシステムを破壊した。(破壊しなければ生き残れなかった人もいれば、作ってたら破壊しちゃった、みたいな人もいますが。)

彼らは決して技術的な知識が豊富なわけではないのですよ(ウォズニアックさんは豊富かも)。作ってみたいモノがあり、それを作るために色々調べているだけなのですよ。


私の好きなエピソードの話をします。ダスティン・モスコビッツさんという方の話で、彼はFacebookをザッカーバーグと共に作った創始メンバーであり、後に最高技術責任者(Chief Technology Officer)としてFacebookで働いていた方です。

モスコビッツさんは当時、経済学専攻していた大学生で、Facebookを作るにあたって行った準備は「1週間、見当違いのプログラミング入門書を読んだ」だけでした。その時に「準備は万端だ」という感じで名乗り上げ、ザッカーバーグさんは「そのプログラミング言語は使っていないよダスティン」と返した、というエピソードです。

一見するとおもしろエピソードですが、この後、モスコビッツさんは実際にFacebookに携わり、Facebookの核となる機能を次々と開発していったわけです。

「圧倒的な個」っていうのは案外そーいうものでして、決して「技術畑を歩んできたから」というわけではないのですよ。「圧倒的な個」が圧倒的である部分はそこではない。むしろ「作ってみたい」とか「世に出したい」とかそーいうモチベーションの部分じゃないかなあ、と思っています。

もちろん、技術的な知識が優れている人もいるのですが、そーいう人も「作ってみたい」の結果として知識があるわけで、決して「おべんきょうして得た知識」ではないのですよ。


なので、「エンジニア、プログラマになるために勉強するぞ」というモチベーションで勉強会に出たりプログラミングスクールに通うのではなく、「なにか作ってみたい」というモチベーションで、それを実現するために効率がいい環境に身を置くべきだと思うのですよ。

「勉強で忙しくてモノが作れない」って本末転倒ですからね。

そーいう意味でも、「モノを作るくしかできない」という環境に身を置いたほうがずっと良い気がしていて、「プログラマ蠱毒」はそーいう環境に強制送還するのでとてもいいんじゃないかなあ、という話でした。