引っ越しとシェアハウス生活の終止符
皆さん、引っ越しましたよ。あー疲れた。
今回の引っ越しの目的はたった1つ。「通勤時間の確保」である。
私の旧居住地は湘南だったのだが、今の私の職場は東京都港区。通勤に片道2時間をかけていたのだ。
ただ通勤2時間だけだったらいいのだが、首都圏の電車体験はとにかく酷い。始発駅だったために朝は座れたのだが、かなりの確率でマナーが悪かったり不潔そうだったりする人と出くわすので、集中して本を読めないことも多かった。帰りに関してはそもそも満員電車なので察していただきたい。
それでも快適な通勤ができるように時間帯や乗車位置を工夫していたが、どうにもこうにも快適度が許容ラインを超えてくれないし、むしろストレスが溜まる毎日なので転居を決意した。
首都圏に住んで5年以上になるが、基本的には「不特定多数の人間と遭遇する場」は避けるが吉だというのが教訓だ。科学的にも、人が多くなると人は親切心や礼儀を失い、脳の認知機能を下げることがわかっている。経験としても、不特定多数の人間がいる場所にいると、品性が足りなすぎる人が高い確率で目についてしまう。
また、通勤時間を増やすと幸福度を下げる……という研究もある。具体的には離婚率が上がるし、太るし、睡眠時間も減る。ある研究では、「通勤時間が長い人は、おおよそ40%くらい年収があがらないと帳消しにならない」というような結果もある。詳しくは下記。
https://yuchrszk.blogspot.com/2014/01/blog-post_14.html
以上から、引っ越しを決めた。
ちなみに今回の転居で、おおよそ3年くらい(多分)にわたるシェアハウス生活に終止符が打たれた。まぁ後半はかなり1人暮らしに近い形だったが、それでも家を離れる時は少しグッとくるものがあった。
シェアハウスに住み始めたのは、最初に入社した会社を過労による鬱で退職した直後だ。あの頃はとにかく「現状」が嫌だった。だから持ち物のほとんどを手放し、シェアハウスに住むことでとにかく現状を破壊しようと思っていたのだろう。「まだ心を病んでいたんだな、あの頃は」と後になってわかる。
そんなきっかけで住み始めたシェアハウスではあったが、とても楽しかった。それまで割と「お手本通り」な人生を歩んできたので、例えば「カフェで働く歌い人」「世界一周で死にかけた起業家」「絵描きの駅員さん」などなど、おおよそ会ったことがない方々と巡り合うことができた。とても興味深い日々だった。
私も詩人を名乗ることがあるし、いわゆる「感性」をとても重んずる人間ではあるが、私は「孤独の中で何かを生み出す」という人間だ。子どもの頃から、何かを作るときは常にひとりだった。むしろ「孤独」こそが私の原動力だ。思えば、孤独を失った期間には向上心や創作心なども失っていた。
一方、私がシェアハウスで出会った人たちの多くは、「誰かと会うことで何かを生み出す」という人間が多かった。誰かと話したり、一緒に何かをしたりする中でインスピレーションを得て、何かを成し遂げることができる。そんな人たちが多かったように思う。
いや、そんな彼ら彼女らの中にも孤独はあったのだろうか。ちょっとそこは私にはわからない。
まぁそんなこんなで色々あったシェアハウス時代も終わりを告げた。多分、もう日本で「シェアハウス」という場所に住むことはないと思う。それは悲観的な意味ではない。むしろ、「十二分に楽しませてもらった」からこそ、もういいかな、と思うだけだ。
次は都内で新生活。ペット可の物件にしたので、もしかしたらいずれ猫かなんかと共に暮らすようになるのかもしれない。一寸先は神のみぞ知る。なんてね。