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Stay Gold, Ponyboy.

入院で自分への執着が消えた

先日、Facebookで「入院がきっかけで執着が消えた」というようなことを書いたんだけれど、今日はそれについて少しだけ深掘り。


以前から私は「ま、いっか」のハードルが低い……つまりいろんなことに関してあまり執着しない性格だったんだけれど、実は「自分」に関して全然そうではなくて。自分に対してはめちゃくちゃ執着心の強い人間だった。自意識が高くて自己承認欲求が強い人間なのだ。

時々「イオリンは1人でも生きれてすごい」的なことを言われるんだけれど、決して私自身は「1人で生きたい」なんて思っていたわけではなくて、結果的になんか1人になっちゃったから1人で楽しむしかないじゃん、っていうのが実情だ。私自身は昔から「夢は奥さんと静かに暮らすこと」とか言っていたくらい、誰かに認めて愛して欲しかったのだ。

で、そこら辺の感覚が2018年5月の入院でかなりぶっ壊れて。「そんなのどうでもよくない?」と感じるようになった。


例えばちょっと前の投稿で私は「出会い系アプリちょっと使ってみた」みたいなことを書いたけれど、多分入院前の私なら絶対書けなかったことだし、そもそも出会い系アプリを使うことにも踏み出せなかっただろう。それは、「使ったらなんか思われるんじゃないか」という気持が強かったからだ。

でも入院したことでその自意識が消えた。「誰に何思われてもどうでもよくない?」「どこかでなんか言われててもどうでもよくない?」という考えに変わったのだ。

だからこそ、このブログでも変な前置きや枠組みを取っ払ったし、誰かの目を気にした文章もやめた。平気で「世の中バカが多い」とか「共感しているわけじゃなくてそうしたほうが得なだけ」とか言える。これを言うこと「イオリンひどい」って思われるかもしれないけど「仕方ないじゃん、本心なんだし」としか感じない。

ここ最近、以前よりも更に1人が好きになったのも、「好かれること」「認められること」がどうでもよくなったからだ。とてもありがたいことに、こんな私でも友達でいてくれる人が何人かいる。その人たちがいれば私はもう十分だなー、って思っている。だからそれ以外の人たちに「あいつ付き合い悪いな」と思われてもどーでもいい(もともと良いほうでもないし)。


自意識に対する執着がなくなってから、以前よりもさらにフットワークが軽くなった。これは「何でもするようになった」とはまた違って、「したくないことはとことんしなくなった」ということだ。「ここイヤだ」と思ったらなんの気兼ねなくそこを抜けることができるようになった。

周りから見れば付き合いが悪くなったと見えるのかもしれないけれど、私にとっては「より自由に動けるようになった」ということだ。今までは割と、「やるって言っちゃったからやらないとなあ」という気持ちがあったのだけれど、それが消えて「仕事でもないんだから知らんがな」でやめられるようになった。

あと、自分がどう思われるかという執着が消えたので色んな実験ができるようになった。健康を手にするために色んなことを試したり、出会い系アプリをやってみたり、ニコニコ生放送やYouTube Liveなどやってみたり。これらの実験をほとんど何のためらいもなく実現している。あとお願い事もできるようになったのでだいぶ気楽に生きれるようになった。

そうは言ってもゼロにはならないのだけれど(人間の仕組みの話なんで)。できればゼロにしていきたいなあと思う。


最後に余談。

よく「あの人は合理主義(≒効率重視)だから人の気持ちがわからない」という言葉を聞きくが、「合理的な人間である」と「人の気持ちがわからない」は完全に別です。

むしろ相反しているとすら私は思う。誰かに「人の気持ちがわからない」って思われるのは基本的に損でしかないから、本当に合理的な人ならそんな状態には陥らない。

なので、「合理的だから人の気持ちがわからない」なんて思われてる人は単に人の気持ちがわからない、ただのバカの可能性が高いと思う。

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