歴史という名のノンフィクションストーリーのハナシ。〜映画「沈黙 —サイレンス—」を観て。〜

まいど、イオリンでございー。

「沈黙 —サイレンス—」という映画を見た。遠藤周作氏が書いた同名の「沈黙」という小説を原作にした映画だ。

以下、これについてネタバレを含むであろう書き物を認(したた)めるので、避けたい方はどうにか避けてくださいな。多分、この映画は考察を読んじゃうとしっかり体験できないだろうから。

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さて。

この作品は、日本の江戸時代を舞台にした、当時のキリスト教迫害を描いたものだ。

江戸時代の日本は、鎖国制度のもと、キリスト教を禁止していた。なぜなら、島原の乱をはじめ、キリスト教によって争いが起きていたからだ。

しかし、その中でも多くの宣教師が日本に来ていた。いわゆる隠れ切支丹も存在した。この「沈黙」は、そんな彼らの様子を描いている。

引用元: 映画「沈黙 —サイレンス—」予告編 – Youtube

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日本の江戸時代って時々、「太平の世」って言われるじゃないですか。まぁ大きな内乱もほとんどなく、一つの血筋、一つの組織による統治が300年近くも続いたわけだ。側から見れば「確かに平和な時代だったのかもね」とか言われる。

でも、この作品を見ると、とてもそうとは割り切れないというか。少なくとも海外からしたら日本はとんでもない暗黒の国だったのかもしれないな、と思う。

私たちも鎖国の話とか、キリスト教の迫害の話とかは知ってるじゃないですか。でも、それって全部「学校でお勉強した知識」であって、実際どのようなものだったか、なぜそれらが行われたかとかは詳しく教えてもらえない。もちろん、1つ1つ教えまくっていたら時間足らなすぎるからなんだけど。

そんな私たちからしたら、例えば「踏み絵」が有効だった意味がわからないでしょ。 「踏むか死ぬか」だったら絶対踏むじゃん。「キリスト教を棄てるか死ぬか」だったら棄てるでしょ?日本人の多くは宗教を絶対視しないし、絶対神なんていないと思っているから。

だから、私たちは踏み絵を習ったけれど、「へぇ、そうなんだ」で済まして来た。

でも、江戸時代には実際に幕府が「踏み絵」を使って切支丹を見つけていたし、実際に踏むことを拒否して死んでいった人たちが山ほどいる。山ほど。そして、それ以上に、あれを踏むことによって神を、救いを失った人も大勢いるわけだ。

引用元: 映画「沈黙 —サイレンス—」予告編 – Youtube

司祭たちは、祖国を捨ててまでそんな危険な土地に降り立ち、日本という国に怯えながらも果敢に布教していた。それほどまでに、彼らはキリスト教と神を信じていた。

そしてさらに、命を厭わぬほどの信仰心を持つ彼らですら、棄教してしまうことがあるということもまた事実。それほど当時の日本は残酷だったし、信仰するということも残酷だったわけだ。(もちろん、形だけ棄教して心の中にずっと神を持っていた人もいたかもしれないけれど。)

引用元: 映画「沈黙 —サイレンス—」予告編 – Youtube

引用元: 映画「沈黙 —サイレンス—」予告編 – Youtube

もちろんこの「沈黙」は創作だけれども、遠藤周作氏は多くの歴史文書を読んでこの物語を組み立てた。モデルとなった人物もいる。まるっきり嘘というわけではなく、少なくともこーいう世界はあったのだと思う。

教科書の上ではただの文字、ただの知識でしかなかったことが、この映画によって実際の物語に昇華された。その直線上に、私たちはいるんだなあ、ということに改めて気付かされた。私は信仰心は全然ないけれども、彼らの壮絶な人生に思いをはせることはできた。

それはとても素晴らしいことで大切なことだと思う。

「日本人は自然の中にしか神を見つけられない」
引用元: 映画「沈黙 —サイレンス—」

「日本には神が多すぎる」
引用元: 漫画「無限の住人」

引用元: 映画「沈黙 —サイレンス—」公式サイト

引用元: 映画「沈黙 —サイレンス—」公式サイト

引用元: 映画「沈黙 —サイレンス—」公式サイト

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この映画は、とても危険というか、大切に扱わなければいけないな、と感じた。とても素晴らしい映画だったのだけれど、Blu-rayを買って何度も見直す…ということはできない気がする。そんなふうに気軽に見てもいい映画じゃない。

ただただ、エンターテイメントというものの懐の広さに感服するばかりだ。

ばいびー☆

つくづく、日本人は自然に神を見出すよなあ。