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Stay Gold, Ponyboy.

フリートークでおハナシ。〜いとしこいしと人間模様〜

まいど、いおりんでござい。

現在、関西の地元に帰っている。先ほどまで友人と遊んで、今1人、電車で帰路についている。京都から奈良まで走る電車はとても暗くて、静かで、田舎スダチの私には心地いい。

今日会った友人は、私の中では「親友」と呼べるくらい仲良く遊べるやつの1人だ。自然に話ができるし、何より、こーやって遊びに行った時のテンション、面白ポイントがとても重なる。普通なら気づかないような街中の少しおかしい看板に対して、私と同じように面白がってくれる友人は中々いない。

私は親友がとても少ないので、こんな風に私と遊んでくれる人がいるのはとても嬉しい。まあ親友と呼べるような人って誰にとっても数人しかいないと思うけれどね。

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そういえば社会に出ると、友人ができにくくなるというが、確かにその通りだと最近思う。おそらく「学生」というものは、友人を作る上でとってもいい距離感を保てるものなんだろう。同じゴールに向けて歩み、ただし互いに利害関係はあまりない。こんな関係は、「学生」特有のものだろう。

私は今、シェアハウスに住んでいるが、仲のいい友達は1人くらいだと思う。「同期」のような繋がりはあるけれど、例えばそー言う人たちと一緒に遊びに行きたいか、と言われれば「どちらでもいいかな…」と感じる。(私が社会性低い性格というのもあるだろう。)

この「友人になれるかどうか」って努力云々じゃなくて、まぁある意味では仕方ないことだと思う。だって相性とか2人の間に起きるイベントとかあるでしょ。今からとても酷い発言をするけれど、私は社会に出てから「仲良くなりたいけどなれない」わけじゃなく、「仲良くなりたいともあまり思わない」ということが多くなったよ。

と言って、一人で生きていきたいわけでもない。友人が「誰かと一緒に同じ道を歩きたい」と言っていたけれど、それができればとても幸せなことだと思う。ただ、言葉の響きとは違って、誰かと同じ道を行けることってさ、実はものすごく難しいことだと思うのさ。少なくとも、私にとってはめちゃくちゃ難しい。

そーいうの見つけてる人はすごいと思うんだ。

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最近は「これから私はどうするんだろう」と考えることが多くなった。

昔から私は、「ただ誰かと縁側で茶をしばいていたい」という夢を持っている。いろんなやりたいことはあるけれど、「夢」と聞かれると多分これ。

で、この「誰か」はきっと誰でもいいわけじゃなくって。そこだけは妥協したくなくって。

でもなあ。さっき言ったけれど「この人と仲良くなりたい」という欲が最近どんどん薄れていってて。「あゝ、もしかして私、このまま1人なのか?」なんて考えることもある。1人も好きだが、そろそろ飽きてきた。

かと言って恋人が欲しいのか、と考えるとそーいうわけでもない。昔のような恋心を持つこともなくなった。ただ「友だちのように」をずっと続けていられる人がいればそれでよくって。それを人は「伴侶」だとか何だとか呼ぶのかもしれない。そうだとしたら「伴侶」というものを私は求めているんだろう。

けれども、もし、その伴侶を持つために「恋人」を経ないといけないのだとしたら、それは面倒だなあと思うよ。一足飛びに「結婚しよう」と言えたなら、どれだけ楽だろうかなあ、と。

難しいもんだ。

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そんなこんなで。人間模様を楽しんでおりますわ。

ばいびー☆

奈良はほんとにいいところ。
奈良はほんとにいいところ。

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