社会人になると感じる「友だちってどんなだっけ」ってハナシ。
まいど、イオリンでござい。
今晩から涼しくなるようで、冬が好きで夏が苦手な私はとても楽しみ。はやく雪が降ればいいのになあ。
さて。
先日も書いたが、社会人になると、学生だった頃とは明らかに人との付き合い方が変わる。まぁ学生の頃と社会人になってからと、どちらが普通なのかは分からないけれども。兎にも角にも、私は「あれ、友人ってこんな感じだったっけ」という錯覚に陥ることが多い。
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私は学生の頃、実は頻繁に大学に遊びに来るOBのことを嬉しく思いながらも、「社会人の友人と旅行にいったりしないのだろうか」と思っていた。
私の母校は和歌山にあり、なかなか一筋縄では行かない。先日、叔母が「奈良から和歌山に行こうと思ってたんだけど、台湾に行くほうが安かったわ」なんて言っていた。まぁ旅館などの値段もあるだろうけど、今や和歌山はアジアの観光地との競争にも時折敗れてしまうほど、中々に遠い存在となっている
そんな和歌山に、学祭でも何でもない時期にちょいちょい訪れるだなんて、と。正直、「この人社会人の友だちできてないのかな」とまで思っていた。まぁ数年後、私が多分後輩に同じようなことを思われることになるんだろうけど。別に学生の頃のほうが楽しかったなんて言うつもりはないけれど、少なくとも「友だち」の位置は学生の頃のほうが心地よかった。
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社会人になると、「遊び」の位置づけが変わってしまう人が多い。
学生の頃は、放課後からがその日のメインイベント、みたいな人も多かっただろうと思う。中高生の頃は学校が終わる15時〜18時くらいから友だちと毎日のように遊んでいた。大学に至っては、授業が終わってから友人と次の日の朝まで遊び呆け、そして寝ぼけ眼で授業を受ける。そんな日も珍しくなかった。
社会人になってみんな仕事をするようになると、否応なく平日の日中を仕事に奪われることになる。場合によっては、仕事が終わった後の時間も、次の仕事に備える休息に費やす人が多い。だから遊ぶとなると、「少ない休みの日を予定調整して遊ぶ」ということになる。遊ぼうと誘っても、予定調整した挙げ句に2ヶ月後に決定、ということも珍しくない。遊びなのに、まるで仕事みたいだ。
だから、友人というモノの位置づけが変わるのも不思議じゃない。以前のように、ただ何となく集まってダラダラと過ごすことは許されないような気がしてくるのも無理はない。
ただ、どちらが気軽で楽しいかと言えば、間違いなく「ダラダラと過ごしても良い間柄」なわけだ。予定としての遊びではなく、出来事としての遊びのほうがずーーっと楽しい。少なくとも私はそうだ。
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私は今シェアハウスに住んでいるんだけれど、そのシェアハウスでは「出来事としての遊び」があってとても楽しい。ただ何となくリビングにいると、仕事から帰ってきた同居人が「あー明日休みだ!今からスーファミ(テレビゲーム)やろうぜ!」と言って2人で遊びほうける。そんな友人関係、そんな遊びがそこにあって、とても楽しい。
有意義が求められる友人関係なんて、窮屈だよね。と思う。
ばいびー☆