悪いことするんだったらきちんと悪役演じるのが筋だ、ってハナシ。
まいど、イオリンでござい。
先日、「単に人の尊厳を大事にしていれば、クソみたいな労働環境にはならないはず」というよーな事を書いた。世の中、誰でも持っているであろう倫理観を守っていれば、人は健全に労働し合える、と。
ただ、その「誰でも持っているであろう倫理観」も結局は後付けで。ヒトが野生の中にいた頃は、もちろん集団行動を得意とする種族だっただろうけれど、「他人の尊厳」なんて気にしない生物だったはずだ。猿山のように。むしろ「他人の尊厳」なんて気にし出したのは、近代に入ってからだ。それまでは世界中で当たり前のように殺し合い、侵略をしていた。
そう考えると「人の尊厳を大事にするこころ」というものは日々朽ちていくものなんだろーと思う。いくら賢いフリをしたって、私たちの身体の作りは野生の中にいた頃、原始人の頃とは何一つ変わっていないんだから(たかが数千年で生命は進化しないよね)。
だからといって諦めろってハナシじゃなくってね。「そんな紆余曲折を経てやーっと、『人の尊厳』ありきで人生を語れる時代になったんじゃあないか、と。じゃあ全力で「人の尊厳」——噛み砕いて言えば、「楽しく生きること」を追い求めていこうよ、と。
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まーでも実際は「誰かの幸福のために誰かの尊厳が踏みにじられている」っていうのが横行している。毎日誰かが殺されるし、戦争は相変わらずなくならないし、今日もどこかで誰かが旅行やカラオケを我慢して夜遅くまで働いている。
ただ、何よりも気持ち悪いのは、そーやって「他人の尊厳を踏みにじったり、自分の尊厳が踏みにじられたりすること」があっても仕方ない、当然のことだと思っているのに、「俺だって残業させたくないんだ。でも仕方ないだろう」とか言っちゃう人だ。綺麗事を言っても追い求めようとしないなら、それは言っていないのと同じだよ。
それならいっそ、「私は部下の尊厳など知らん。そんなものはてめぇが自分で守るものだろう」「残業したくねーなら努力しろよ。それが足りねーから踏みにじられてんだろ」くらいのことは言って欲しいものだ。「仕方ない」なんて言葉でお茶を濁すんじゃなくって、尊厳が踏みにじられる世界の中でしっかり生きて頂きたいね。
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要するに、「悪いこと」をしてるんだったら、悪役になれ、と。「仕方ない」とか言って被害者面したり、優しい言葉使って清廉潔白を装ったりするんじゃなくってさ。悪い世界で生きてるんだったらなおさら、「俺は正しい」という自信・美学を持って欲しい。
別に労働に限らず、例えば浮気とか不倫とかしている人の中にも「純愛が一番だよ☆」みたいな人が時々いるけれど、これも同じで。不倫してても「だって仕方ないじゃない!」とか被害者面してても気持ち悪いだけだ。それなら「何が悪い。夫(妻)奪われるほうが悪ぃーんだよ」くらい言ってほしい。そして殴られる覚悟をしっかり持って欲しい。
以上!
ばいびー☆