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Stay Gold, Ponyboy.

フリートークでおハナシ。〜漢字変換さえいらなくなる世界〜

まいど、イオリンでござい。

今日はフリートークということで。最近発見した「ライブ変換」というの機能について小話をしようかなーと。

「ライブ変換」とは、MacのOS「El Capitan」から新搭載された日本語入力に関する新機能で。簡単に言えば「文字を入力していると勝手に漢字変換してくれる」という機能です。

普通は文字入力をするときは「ひらがなで入力」→「スペースキー等で漢字変換」→「漢字を選んで確定」というプロセスを踏むよね。ところがライブ変換では自動で漢字変換されていくので、「ひらがなで入力」だけで漢字変換も全部完了してしまう、というスグレモノなのです。

ライブ変換の様子。
ライブ変換の様子。スペースキー(変換キー)は押してないです。

さて。

私は新しいモノ好きなので、この機能を知った時に真っ先に飛び付いた。「なんだこれ、面白そう!」って。それで実際使ってみたけれども特に不平は感じず、変換精度も悪くないし、文章入力におけるステップが物理的に減るのでスピードも上がるな、という気はしていた。

ところがぎっちょん。しばらくして使わなくなった。なぜなら「これを使い続けていると日本語力が圧倒的に落ちる」と感じたからだ。

私はまぁ曲がりなりとも「物書き」としての自負はある。お金を稼いでいない以上「文筆家」とは言わないけれども、「日本語」も「言葉」も大好きだから、日頃から文章を書くときは言葉に気をつけて書いている。

その日本語を書くときの気持ちが、「ライブ変換」使う事によって鈍化していくんじゃねーか、という怖さを感じた。

日本語ってのは面白いもんでね。同じ言葉でも漢字を使うか、ひらがなを使うか、カタカナを使うか、というところで伝わる意思がガラッと変わるんだよね。「好き」と「すき」と「スキ」は違う言葉だと言っていい。同じように「2個」と「二個」も違う言葉だ。そして、そーいうとこにも気を使いながら文章を書くことが私の習慣であり、こだわりなわけさ。

それが「ライブ変換」によって勝手に漢字やカタカナに変換されてしまうことで、自分の「文章を書く」という行為から「言葉への注意」が抜け落ちてしまうんじゃないか。それは私の物書きとしての礼儀に反することだし、とても怖いことだ。

〜〜〜〜

これって、携帯電話が台頭したことによって「漢字が書けない若者が増えた!」って言われていたのと同じようなことだよね。まぁそこに関しては私はあまり敏感じゃなかった。携帯電話のソレは「言葉」じゃなくて「文字」に対する危機感だから。私は「言葉」には敏感だけれども、「文字」に関してはそこまで敏感じゃなかった。

まぁ「ライブ変換」もまだ完全な実用化にはあと一歩、って感じだけれども、そのあと一歩は割と近い未来に来ると思った。そうなると、みんな言葉についてもあまり考えなくなるのかな。それは寂しいな。

ばいびー☆

足下がおろそかになっていないかい。
足下がおろそかになっていないかい。

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