オンとかオフとかで区切るのでなく「生きる」に溶け込んだ仕事をしたい、ってハナシ。〜森山直太朗さんのアルバム「嗚呼」を聴いて〜

まいど、いおりんでござい。

さて。森山直太朗さんが小休止を経て、新アルバム「嗚呼」をリリースしました。私も早速ゲットしましたよ。相も変わらず良い曲ばっかりでとても素敵なアルバムに仕上がっている。

参考: 嗚呼 | 森山直太朗オフィシャルサイト

引用元: 嗚呼 | 森山直太朗オフィシャルサイト

引用元: 嗚呼 | 森山直太朗オフィシャルサイト

〜〜〜〜

森山直太朗さんの曲って、本当に「生きる」ってことと直結している気がするんだよね。今回のアルバムでも全編通して「生きる」ってことを感じさせてくる。最後の「生きる(って言い切る)」が顕著だけれども、他の楽曲も、生きている中での小さな場面や感情を切り取って唄っている感じがする。

例えば他の多くのシンガーさんって、人生においてのターニングポイントを表現することが多いでしょ。「旅立ち」とか「別れ」「告白」「成功」「決断」などなどのイベントで、それぞれの場面のピークを表現している。でも森山直太朗さんは、そーいうピークが過ぎ去ったあとやピークの前の日常を切り取っている気がする。

もちろん、中には「さくら(独唱)」や「生きとし生ける物へ」のように、テーマに対して研ぎ澄ましている楽曲もある。けれどもそーいうのは実は少なくって。

例えば物議を醸し出した「生きてることが辛いなら」って曲もさ。メッセージ性は強いけれども、歌詞から感じるのは「1日1日素直に生きていけばそれでいいんだよ」っていうことだ。強いメッセージ性と共に、どこか肩の力が抜けているような感じがある…と私は思う。

生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい
恋人や親は悲しむが 三日と経てば元通り
気がつきゃみんな年取って おんなじとこへ行くのだから

生きてることが辛いなら わめき散らして泣けばいい
そのうち夜は明けちゃって 疲れて眠りにつくだろう
夜に泣くのは赤ん坊だけって決まりはないんだし

引用元: 生きてることが辛いなら / 森山直太朗

私は森山直太朗さんの音楽に対する姿勢がなんかすごく好きで。彼の楽曲が「生きる」に直結している理由って、彼(と共同制作者の御徒町凧さん)が本当に「生きる」ってことを大事にしていて、その彼の「生きる」が音楽にしっかり昇華されてるってことなんだよね。

よく、「オンとオフ」とか「ワークライフバランス」とか、「仕事とそれ以外」って言う風に人生を区切る考え方が散見されるけれども、それっておかしいと思うんだよね。いや、まぁおかしいというか、少なくとも私にとっては、「仕事とそれ以外」を区切る生き方ってとても息苦しくて違和感を感じるんだよ。

私にとって人生は地続きなもので、区切られるものじゃないのね。仕事だって人生であり、家でごろごろするのだって本を読むのだって映画を観るのだって全部地続きであり、相互的に作用し得るものじゃん。家で英気を養うからこそ仕事で120%の集中力を出せるんだし、仕事で辛いことがあれば映画を観ててもちょっと辛いじゃん。人間が変わったり代替ボディに替えたりするわけじゃあるまいし、全部地続きなんだよ。

だからこそ、私は「仕事」というものも、自分の人生の縮図であってほしいし、逆に言えば他の人生においても、仕事がしっかり作用するような、そんな「生きる」をしたいわけさ。

〜〜〜〜

私がエンジニア…というかプログラマとして仕事をする時に一番ストレスなのって、プログラマってぜーんぶ「パソコンの前」なんだよ。よく、「パソコンさえあれば、どこでも仕事できるからいーじゃん!」とか言われるけどさ。逆に言えば「パソコンがなければ何もできない」んだよ。本を読んでも、パソコンで実践しないと腕も上達しないしさ。

私が例えば家でごろごろしたり本を読んだり映画を観たりしても、それがプログラマとして活きることって、ほとんどない。ドワンゴの社長の川上量生さんが「しゃべりのうまいプログラマーなんてたいしたことない」と言い切っていたけれども、それって「プログラミングに打ち込んだ分だけが実力を左右する」ってことを言いたいんじゃないかな。で、実際その通りだと私は思う。

ただ、プログラマよりも1個上の層の「アイデアを考える」という部分を加えれば、もうプログラミングとかアイデア発想法とかにだけ打ち込んでいても意味がない。色んな人生を生きてみて、その「生きる」が「アイデア」という形に昇華されていくからね。

私が「エンジニアを辞めたい」「プログラミングをやらないで生きていきたい」って思っている根っこはここで。「プログラマ」として生きるってことは、人生の一部を「プログラミング用=仕事用」として切り取って生きるということだ。私にはそれは耐えられない。さっさと仕事を「生きる」に組み込みたいわけだ。

〜〜〜〜

私が会社を辞めた頃、「宿屋をやりたい」とか「カフェをやりたい」とか言っていたことの原点って、ここだったんだろーな、と気付く。極端なハナシ、私は別に知らない人と出会いたいとかはあんまりなくって、ただ単に仕事を「生きる」に溶け込ませたかったんだな、と。

宿屋って、単に綺麗な設備、魅力的な環境なだけじゃダメだし、カフェだって単に珈琲作るの上手いだけじゃダメでしょ。家でごろごろしたり本を読んだり映画を観たり旅に出たり習い事をしたりギターを弾いたり野原でボール蹴飛ばしたり、そーいった「生きる」が還元されて、はじめて「ユニークな価値」になるじゃん。私もそーいう仕事に憧れていたんだな。

今の私の仕事をどーやって「生きる」に持っていくか。そこをしっかと考えないといけないな、と思ったイオリンなのでした。

ばいびー☆

遠近感が狂う写真をどうぞ。

遠近感が狂う写真をどうぞ。