イオリンの誕生日に対するひねくれた考えのハナシ。
まいど、いおりんでござい。
以下は私の誕生日のときに書いて「これはちょっと…」と思って封印した文章。誕生日についてのトークです。誕生日について自由に書いたらちょっと歪みまくったので封印してた。
私は誕生日を祝うことに関してちょっぴりひねくれておるのです。そんな文章をどうぞ。
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本日(2月25日)はまず、0時00分にシェアハウスで祝いの言葉とお菓子を頂き、お祝い頂いた。Facebookでは皆さんからお祝いコメントが届いております。私なんかの誕生日のために労力を費やしてくれるなんて感激の至りだね。ありがとうございますほんと。
私は私の誕生日なんかを祝ってくれる人たちには本当に感謝しております。そのうえで、ちょっとひねくれたことを言うので気を悪くしないでネ。
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さて。
実は私は、「生半可に他人の誕生日を祝わない」という、ひねくれた自分ルールを持っている。
学生時代の頃は私もFacebookやtwitter、mixiで「おめでとぅーす!」と言っていたものだけれど、ある時に「これ、本当に祝いたい意志を持って祝っているかな?」って気になり出してから、気軽にSNSなどで「おめでとう!」と言えなくなった。
めでたく思っていないことにたいして「おめでとう」って言うの失礼じゃない?なんだよその「とりあえず名刺交換しとけ」みたいな感覚の「ありがとう」は、と。祝うんだったら真剣に祝えよこの野郎!って自分自身にムカついちゃう。
だから、私はFacebookで他人の誕生日に対して「おめでとう!」的なことは言わないよーにしてる(それでも祝ってくれる人がいることに感謝しかないネ…)。
もちろん、これは私自身の問題、ただの自分ルールなわけで、他の人に「お前、本当に思ってんのかよ!」とかめんどくさい女子みたいなこと言いたいわけじゃなくってネ。他の人のそーいう気持ちを疑うことこそ失礼過ぎるし、私は無条件に信じている。
他の人たちの純粋な祝意を素直に信じている。だからこそ私なんかが「なんとなく」で便乗して祝っちゃいけない、と思ってて。
そーいう考えから、私が誕生日を祝うなら、しっかりと意識して祝う。そーじゃないなら、祝わないと決めている。
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昔っからこーいう「感情と行動のズレ」がすごく気になっちゃうタチなんだよね、私って。
例えばメールとかでも「!」とかを簡単には使いたくなくって。よく電車の中とかで、真顔でテンション高いメール書いている人見かけるけれど、あれに違和感を感じるんだよ。「えぇーっ!ほんとー!すごいねー(はぁと)」みたいな文章を仏頂面で黙々と打っているのって、錯誤感しない?
だから私は私のテンションをそのまま文章にも落とし込む意識をしている。本当にテンション高い時にだけ、「!」とかを使う。そーじゃなければ「。」でしょ。そのほうが正直な文になる気がしている。
思ってないことを文章にできないんだな、私は。
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そもそも自分自身の誕生日で祝われるべきは私じゃなくて私の親な気もするし…。と、まぁ色々と誕生日について考えるとひねくれた考えになっちゃった。
森山直太朗さんの歌詞の中に下記のようなモノがある。
一年一度の記念日なんて
お茶を濁すだけのアニバーサリー(中略)
そう毎日がハッピーバースデイ トゥーユー
引用元: 「バース@デイ 〜ひとりぼっちの応援歌〜」 / 森山直太朗
例えば年賀状とかもそーだけど、薄れた関係性のお茶を濁すために「おめでとう」とか「よろしく」とか言うのはできないんだよね、ってハナシでした。
何度も言うけれども、これは私の自分に対する流儀みたいなものなので、他の人に「そーいうのやめなよ」って言いたいわけじゃないよ。むしろ私もFacebookとかでおめでとう、っていただけるの嬉しいし。本当、私の私に対するルールでしかないですヨ。
ばいびー☆