Archives

Stay Gold, Ponyboy.

「幸せにする」じゃなくて「幸せの片棒を担ぐ」くらいがちょうどいい、ってハナシ。

まいど、いおりんでござい〜。

ふらふらと一服しながらWebを彷徨っていると、下記のような記事に出会った。

参考: 勘違いして4年で電通を辞めたらエラい目にあった、俺死ね! – 胸になんか刺さった

さて。これはいわゆる「独立して生きていくって、大変なんだぜ」ということなんだけれど、私が今日書きたいのはそこじゃなくって、最後のところの一文だ。

誰もがたった一人の人間でさえ、なかなか幸せにできない。

ということだ。「世の中をハッピーにできる」と言っている人がいたら、その人はきっと神様だ。

これって、私も感じるときはあるよ。誰かを幸せにするなんて、簡単にできることじゃない。私も、私にとって大好きな人たちを幸せにしてあげられたら、どんなに素敵かを考えるよ。

でもね。

「幸せにする」ってのはすんげー難しいけれど、「幸せなひとときを提供する」だったとしたら、それはそこまで難しいことじゃないと思うんだ。

例えば私が誰かを好きになって恋人同士になったとして。その人のことを幸せにできたかどーかなんて、正直聞かれてもわからんよな。でも、静かな午後に一休みしながら紅茶を飲んだり、冬の寒い夜にこたつで温まりながら談笑したり、といった、「幸せのひととき」を提供することは、できるわな。

「幸せにする」なんて言うと、結局は「ハッピータイム」と「アンハッピータイム」の点数ゲームになっちゃうし、よくわかんなくなっちゃうじゃん。でも、「幸せなひとときを与える」という風に時間軸を「今」と「ちょっち未来」に限定すれば、それは難しくないように思う。

〜〜〜〜

あとは、相手の幸せハードルを下げるように心掛ければいいと思う。

例えば相手が生き急いでいたり、いろんな事を詰め込んだりしていたら、「まーまー、一回落ち着いて、暖かい珈琲でも飲みなよ」とか「ちょっと一旦、休暇をとっておいで。代わりに私がやっておくから」とか声をかける。そーやって、相手の高くなったハードルを下げてあげる。

そーすることで、幸せなひとときを得やすくすることも、「幸せにする」に繋がっていくんじゃねーかな。

ばいびー☆

幸せの片棒を担ぐ、くらいがちょうどいい。
幸せの片棒を担ぐ、くらいがちょうどいい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)