失敗した時のことは備える必要はなくって、見えていればいい、ってハナシ。
まいど、いおりんでござい。
皆さんは失敗に備えておりますか?
かの有名なデンゼル・ワシントンは「失敗に備えろと言われたとき、その意味を理解できなかった」と言った。
私は不安というモノが嫌いなので、何かを行う際は基本的に失敗を考慮する。ただし、あくまで「考慮」しかしない。大成功の結果と大失敗の結果をある程度想像してみる。それだけだ。
私は「死ぬこと以外はかすり傷」と思っちゃうような人間なので、大失敗の結果を想像しても、大抵は「まー、その程度か」で済ませることができる。会社をクビになる?信頼が失われる?自分が路頭に迷う?えっ、次の仕事が1個なくなるだけ?じゃー楽勝じゃん、ってネ。
まーそんな許容範囲の多い人間だけじゃないと思うけれども、例えば日常生活で起きる失敗って、そんなに取り返しのつかないことばかりじゃないでしょ。お客さんに謝ったりお金を支払ったり、なんだかんだで失敗してからでも十分挽回できることのほうが多い。
むしろ、取り返しのつかない時は大抵、何度か失敗を繰り返しているのに備えていないときだ。1発の失敗で完全にチャンスが崩壊することはない。それなら、単体の失敗リスクは許容できることも多いはず。
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リスク管理における最大の問題は「許容できるか否か」ではなく、「見えているか否か」だ。人は大きすぎるリスクを恐れるんじゃなくって、把握できないリスクを恐れるんだ。
リスクが見えるようになれば、あとはメモして放っておけばいい。備える必要はない。なぜなら、私たちは今から全力でソレを避けるんだから。
有り体に言えば、失敗しなければいいのだ。みんな成功したいためにやるんだから、とりあえず成功に対してステータス全振りしたらいいと思う。それでも失敗したなら、その時はじめてコケ方を考えればいいと思う。基本的には、失敗してから備えても遅くはないしネ。
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誤解を避けるために言うけれど、この「失敗に備えない」ということは、危機感を持たないというわけじゃない。危機感を持たないで何かに挑むのは、「失敗に備えない」とかいうレベルじゃない。それは何も考えていないに等しいよ。
物事を成すときに、危機感というのはとっても重要なファクターだ。危機感を持って行動しないと、成功率はずっと下がる。「失敗するかもしれない」という危機感を持つことは、同時に「成功へ結びつけるのは自分だ」という責任にも繋がる。だから成功しやすいし、失敗したとしても成功へ近づくことができる。
危機感がない人は、単に考えられていないだけだよ。
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と、まぁここまで書いたけど、もっとも恐ろしいことは、最初に言った失敗を許容する能力…つまり「まー、その程度か」と思える能力が狂わされることだよね。これを洗脳と人は呼ぶんだけれどさ。
フリーに近い立場の人は会社員…特に辛そうにしていたり健康を損ねたりしている会社員に対して「何やってんだい、バカだねー」と田舎のおばあちゃんかの如く言うけれど、物事はそんな簡単じゃねーよな。
要するに彼等は人間に生まれ出でてから今に至るまでに行われてきた教育の中で「まー、その程度か」と思えるセンサが狂わされているんだよな。だから、彼等にとって仕事でトチったり終わらなかったりということは、全然「まー、その程度か」じゃないわけだ。彼等にとっては、自身の健康のほうが、「まー、その程度か(=あとでいくらでも取り返しがきく)」なんだ。
こーいうことを考えると、私は彼等の狂わされた「まー、その程度か」センサを修復することこそが必要だな、と思う。そはに「あんた、バカだねー」と言うスタンスで構えれば解決するよーな単純なもんじゃねーよな。
ばいびー☆