「一緒にやる」遊びから「一緒に居合わせる」遊びへの移行のハナシ。

まいど、いおりんでござい〜。

フリーになって一年。会社員時代は全然新しい人と出会わなかったのに、フリーになったら色んな人に会う機会が出来て興味深い。

その要因の一つは「シェアハウス」に住み始めたことなのは間違いない。純粋に属するコミュニティが1つ増えるんだから、そりゃそーだ。

でも、じゃあ「シェアハウスに住んでいたら、会社員だったとしても人といっぱい出会えたの?」と考えてみると、やっぱり「フリー」であることも、色んな人と出会えることの要因にはなっていると思う。

それは単純に「会社員時代よりも時間がある」というだけではなくてね。それよりも重要なのが、「じゃあ今度一緒になんかしましょう」って言える人間であることじゃないかな。

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以前、会社員だった頃は、自分の中の「仕事」というモノは全部会社だったわけだ。多分契約的にも「副業・兼業はダメ」って書いていたんだろうし、私自身、頭の中の仕事脳は100%会社に振り分けてた。事実、大学時代に教授から依頼頂いた論文関係のハナシは引き受けられなかったし。(残業多すぎ問題とかは勿論あるけど、それは置いておきます。)

でも、今はそうじゃない。出会う人が比較的自由な働き方をしている方だったら、「私、何かあなたのお手伝いできるかもしれません」って言えたり、逆に「イオリンさんの力になれるかもしれない」とか言って頂いたりとかする。

この「何かを成し遂げるための会話」ってのはコミュニケーションおいて「主軸」に成りうる方法だと思うんだよね。

ただ飲み会を開いたり、ご飯一緒に食べたり、ってのも大事だけど、これらはコミュニケーションの方法で言えば「補佐」に近い。なぜ人はコミュニケーションし合うのかと言えば、それは「一緒に何かを成し遂げるため」でしょ。だから、一緒に何かを成し遂げた仲ってのは、ただの飲み友達よりもずーっと濃ゆい仲になるんじゃないかな。

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「成し遂げた」なんて強い言葉を使うと難しいことのように思うけど、生産的であれば何でも良くって。

例えば学生だったら「一緒にテスト勉強する」とかでもいい。「友だちと集まって勉強する」って多くの人が体験したことだと思うんだけれど、だからこそ学生の頃の絆って強いじゃん。社会人での友人より、学生時代の友人とのほうが仲が良い、って人は少なくない。なぜなら学生の頃は「一緒に成し遂げる」ってのが簡単にできるんだよね。

じゃあその簡単なことがなぜ大人ってやつはできなくなるのか。

多分、学生という肩書きから外れると途端に受動的な娯楽が強くなるんだよ。「何かを成し遂げる」じゃなくなって、どっちかと言うと「一緒に居合わせる」というタイプの娯楽が強くなる。それこそ、飲み会とか、ツアー旅行とかね。

元々仲の良い人とだったら、一緒に居合わせてるだけでめちゃくちゃ楽しいかもしれない。でも、あんまり知らない人との飲み会とか、合コンとかはもう、出会いじゃなくてすれ違いに近いよね。

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あとは、体力を会社に使いまくるから、それ以外のことに体力を割けなくなって、「成し遂げる」ではなく「居合わせる」タイプの娯楽を好むようになる気がする。

例えば自分たちで計画立てた旅行なんかは、下調べが必要だったりスケジュールを考えたりとか、結構大変じゃん(だからこそ、達成感とかもあって楽しいんだけれど)。仕事で多くの体力を使いきっちまう人は多分、そーいう娯楽の準備のために体力を使いたくなくなるんじゃないかな。だから後輩が幹事をやってくれる飲み会とか、色々お膳立てしてくれるツアー旅行とか、そーいう娯楽に傾倒しちゃうんじゃねーかなー。

そーいう気持ちも分かるよ。私だって会社員時代はそうだった。会社にスタミナ投入しまくってたから、休日はスタミナ回復のために使いたかった。

つまるところ、スタミナを仕事に注げば注ぐほど、ほかのところで「一緒に成し遂げる」っていうコミュニケーションを行うことができなくなってくるわけだ。それが、社会に出て途端に、人と仲良くなれなくなっちゃう原因なんじゃねーかなー。

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こんなこと書くと「いやいや、仕事には全力で当たれよ!」って人もいるかもしれないけれど、全力で当たるのと、スタミナを使い切ることはイコールじゃないよ。

むしろ、パフォーマンスを保つためには常にスタミナに余裕持たせておくべきなんだと私は思うね。

ばいびー☆

こーいう接写が好き。

こーいう接写が好き。