人付き合いは「オイシイところのカジり合い」でいーんじゃないかな、ってハナシ。

まいど、いおりんでござい〜。

今、「仕事ができて、小金もある。でも、恋愛だけは土俵にすら上がれてないんだ、私は。(でも恋)」という本を読んでいる。恋愛に限らず人間関係全体にまで踏み込んだハナシが多くってなかなか示唆に富む本でございます。まぁ恋愛なんてのも所詮は人間関係の1つでしかないんだけれども。

さて。

この本は恋愛のことをテーマにしておきながら人間関係において冷静に…フラットに語っている本で、とっても共感する。

その中で、下記の一節に膝を打った。

ナイスな人のイケてない部分を見て失望するのはお門違いで、ナイスな部分とだけ付き合っていけばいい。
(中略)
相手に、自分の「オイシイ部分だけつまみ食いしてください」くらいの精神でいる方が健全な関係性のように思えるのだ。

元々私は人付き合いにおいて、他人の良いところ(オイシイところ)だけを楽しんでいる。

人間ってのは単純に「良いヤツ」と「悪いヤツ」がいるわけじゃなくって、「良い部分」と「悪い部分」を併せ持っているモノじゃんか。もっと言えばこの人に対する「良い」「悪い」の評価って結局は自分にとって「(都合が)良い」か「(都合が)悪い」か、有り体に言えば好き嫌いのハナシだと思ってる。

だから、私は「こいつ、良いヤツだな!」ってあまり思わずに、「こいつの、この部分は良いな!」って思うようにしてる。嫌いなモノにはフタをしちゃえ、の精神で良いと思うのよ、人付き合いって。

同じ感覚で、他人に対しても、「私のオイシイ部分だけを楽しめばそれでいい」と思っている。私の全部を好きになんかならなくっていいし、オイシクナイ部分なんか無視してしまえばいいと思う。私もそーするから。だから、都合良いときに都合良く使ってくれればそれでいーのだ。

人類皆兄弟になんかなれねーし、人生を誰かと完全にシェアするなんておいそれとできねーんだから。

〜〜〜〜

私があんまり他人を嫌いにならない部分、って多分この「オイシイところだけ楽しめばいい」っていう考え方が根っこにあるからだろーな、と思う。相手にオイシクナイところがあったとしても、基本的にはそれから目を逸らしたり、上手く折り合いをつけたりしていけば、それでいいと思ってる。

例えば私は「トイレの蓋は絶対に閉める」って人間だけど、友人がトイレの蓋を閉めないとしても、それでその友人のことを嫌いになったりはしない。スケール小さいな!って思っただろーけど、それが「トイレの蓋を閉めない」だろうと「浮気性」だろうと「窃盗癖」だろうと、私にとっては一緒なんです。どちらも私にとって「オイシクナイところではあるけれど、だからといってソイツのことを嫌いになるか?と言われれば答えはNOだ。「窃盗癖のある友人」としか思わない、というのが正直なところだ。

もちろん、浮気も窃盗も私は「やらないほうがいい」と思っているので、友人として、自首させるとか相談に乗るとか真摯に向き合いはしますよ。ただ、見損なうことはないってこと。

「基本的には」って書いたのは、私にだって許せないこと、「その一線を超えられたらさすがに君を許せなくなりますよ」ってモノはあって。例えば私の大好きな人を傷つけまくった人がいたとしたら、もう許せないよ。でも、その際は相手を嫌いになるとかじゃなくって、相手そのものが私の世界からは消えるだけだ。

これらの考え方の根っこには「嫌いなことに時間を費やすのがもったいなすぎる」っていう考えがあるから。だから、誰かを嫌いになったらその人に対して時間を費やさなくなるだけで、嫌がらせしたり陰口を言ったりとかはしないっす。

まぁ先にも言ったように、そんなにも誰かを嫌いになることなんてないわけだけどネ。

〜〜〜〜

どんな人だって結局は他人なんだから、誰も彼もに対して深入りなんてしなくても良いと思うんだよね。親友だからと言って深い話をしなきゃいけないわけでもないし、家族だからといって全ての面を愛さなければいけないわけじゃないし。人間、育ててもらっている親にすら「反抗期」とか言って嫌いに時期すらあるんだからネ。

オイシイと感じる時期にオイシイところだけカジっちゃえばいいのだ。それでいーよ。

ばいびー★

ビールはおいしいと感じられない…

ビールはおいしいと感じられない…