コミュニティにおける文化って場所じゃなくって人に根付くんじゃないかな、ってハナシ。

まいど、いおりんでござい。

本日、私が1件目に住んでいたシェアハウスの同居人たちで集まった。2015年3月ごろに同じシェアハウスで住んでいたメンバーだ 1

そのメンバーは2月末をもって全員が当時のシェアハウスから巣立つことになった(もちろん時期はバラバラ)。そーいうのもあって、「住んでいた当時のハナシ」だとか「それぞれが巣立ってからの動向のハナシ」「巣立ったあとのシェアハウスのハナシ」などおおいに盛り上がった。

その中でメンバーが感じたことの一つに、「みんなで話す感じは一緒に住んでいたころと変わらないね」というところだった。実際、お洒落なイタリアンレストランで集まったんだけれども、私たちはあの「シェアハウスの居間」にいたかのような感じだった。

この時思ったんだけれど、コミュニティにおける文化ってのは場所じゃなくて人の集まりに根付くんだな。

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私の周りでもよく、「こーいうコミュニティを作りたい」とか言うハナシを聞く。ゲストハウスで、シェアハウスで、カフェで、食堂で。様々なコミュニティを作ろうとする。

この「こーいうコミュニティ」ってのは、つまり文化ありきのコミュニティってことだよね。例えば、「ヒッピー的なゲストハウス」だとか「みんなが暖かい気持ちになるカフェ」ってのは、コミュニティというより文化が大事じゃん。

例えば、「ヒッピー的なゲストハウス」を目指していたのに、IT最新機器を使うオタクな人たちの文化が形成されたら、「それは望んでない!」みたいになるでしょ?

つまり、「コミュニティつくりをしたい」って言う人は、「文化をつくりたい」って言っているよーなもんでさ。

でも、その文化ってのは、人が集まっているところに根付くもんであって、場所に根付くもんじゃねーよな。きっと。

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「それぞれが巣立ったあとのシェアハウス」について話したときは、「私たちが住んでいたころとは変わったよね」というハナシになった。

これはシェアハウスでもよく聞くけど、サークルとか部活とかでも言うじゃん。「あたしたちが現役だったころとは、なんか変わったよね」みたいな。あたしたちが現役だったころはみんな朝練とかいっぱいやって、みんなで頑張ってたのに、今のあいつらはたるんでるよね、熱意がないわよね、みたいな、さ。

でも、「私たちがいたころとは変わった」ってのは当たり前なわけです。だって、人が変わってるんだもの。文化も変わるよね。人の流動性が高いようなコミュニティなら、文化の流動性も高いわけです。

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そーは言っても、文化が場所に根付いているように見える場合もあるけれどさ。そーいうときって、あまりにも個の強いキーパーソンがその場所に留まり続けているか、その場所のマネージャが人の流動や環境などを管理して、文化が育つ方向を制御してるんじゃないかな。

場所なり環境なりを管理することで、育つ文化を制御することはできると思う。例えば、インターネット環境がない環境作りを徹底すれば、インターネット好きの文化は育ちにくいでしょ。男子禁制とかにすれば女子高みたいな文化が育つだろうし。文化が根付くのは人の集まりだけれど、文化を育てる栄養素は、場所なり環境なりだと思う。

でも、やっぱり場所に文化が根付くことはなくって。場所に文化を維持させたいならば、そのための努力は惜しんじゃダメで。「ここにはもう文化ができだな」なーんて思っても、人が流れれば文化も流れていくんだから。

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逆に、人の集まりに対して文化が根付けば、もう場所なんて関係なくなるよね。もちろん、地下帝国とかにぶち込まれたら文化もクソもなくなるけれどさ。大抵のことでは、根付いた文化はやっぱ、崩れないよね。

例えば、さっきの「シェアハウス同期メンバー」がまた当時のシェアハウスに全員戻れば、当時のコミュニティ文化が簡単に花開くだろう。そーいう意味では、ただ私たちが場所を移しただけであって、文化は全然変わっていない気がする。

コミュニティとは場所ではなく人であり、コミュニティにおける文化は場所じゃなくって人に根付く。そう考えてみると、案外とわかりやすいかもしれないね。

ばいびー☆

住みはじめて1、2週間くらいで旅行にいったのも良い思い出です。

住みはじめて1、2週間くらいで旅行にいったのも良い思い出です。

Notes:

  1. 1人だけ、海外にいたので集まれなかった。残念だ。