新しい方法は問題があったり失敗したりしても当たり前、ってハナシ。
まいど、いおりんでござい。実家ではお菓子がどんどん出てくるので、太っちゃいますね!
さて。
いおりんは、移民賛成派です。
今、欧州の方では、移民がめっちゃ問題になっているよね。日本のニュースですら、「欧州で移民による犯罪が増加…」とか見かけるくらい。
移民を受け入れて成功している事例は少なく、移民による問題は大量に存在している。
それを見て、「そんな移民なんて受け入れても、犯罪が増えたり、日本の文化が崩されたりするんちゃうの?」と拒否反応を示される方も多いと思う。
でもね。それで、「移民はダメ!絶対!」ってのは違うんじゃないの?と。
何か新しいことをする上で問題が起きるのは当たり前で、それらの解決を目指して頭を使うべきなんちゃうかなー、と。
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似たような問題はいくつもあって。
例えば私はリモートワークを進んで行っている。
職場という存在の意味もわかるけれど、「通勤は本当に無駄」だったり、「1人の時間で仕事することによる生産性維持」だったりが原因で、私はリモートワークを推し進めたいんだよね。
そーすると、知り合いの方々から、「リモートワークは難しいよ」とか「一緒に作業したほうが楽だよ」とかよく言われる。過去にリモートワークの人と一緒に仕事して失敗した人は特に、「やっぱりリモートワークは無理だよ」と言う。
それらの多くも結局、「リモートワーク」という新しい勤務体系に存在する問題に対して拒否反応を見せてるだけなんだよね。
新しい方法を試すんだったら、それを成功させるために頭を使って試行錯誤しなきゃいけない。リモートワークにはリモートワークなりのやり方、マネジメント方法があってさ。それを目指して努力しないと、成功は難しいのは当然だよ。
その努力を放棄して「リモートワークはダメ」と論ずるのは、安易すぎない?
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新しい方法を試すのはリスクあることだよ。
でも、従来の方法に大きな問題があって、それを解決するためにリスクある方法をとるわけでしょ。従来の方法で得られるメリットよりも、デメリットのほうがいよいよ大きくなってきたから、新しい方法を試すわけでしょ。
それなのに、新しい方法で問題が発生したり失敗したりして、すぐに「結局従来の方法がいいよね!」ってなるのは、戦略が安易だよね。それじゃあ、結局もともとあったデメリットはどうするの?と。
移民政策は、「国内と外国人労働者だけじゃ労働力・経済活動が維持できない」という大問題があるわけで。「犯罪が増えるかも」「日本の文化が崩れるかも」というけど、じゃあその問題を避けるために、労働力・経済活動の問題を受け入れるの?ほかの策を講じるの?と。
新しい方法を試して問題が起きるのは当たり前で。それを解決するのと、従来の方法に存在していた問題のどちらを解決し、どちらのメリットを享受するのか。そーいうところを考えましょ、とね。
ばいびー☆