「食っていけないから」という理由が持つパワーのハナシ。
まいど、いおりんでござい。
最近、自室の仕事環境を色々と整えている。良い椅子を買って腰痛対策を万全にすれば、自室でも問題なく仕事ができるくらいにはなってきた。
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さて。
みなさん、実写映画の「るろうに剣心」を御存知でしょうか。漫画を原作にした映画で、2016年現在で3作も出ている大作です。
この3作のうちの1作目では、元々は幕末の維新志士で人斬りだった「剣心」が、明治となって人を助けるために刀を振るうことを目指す、といったのが大枠になっている。
この1作目では、剣心を対をなす「人斬りを続ける元新選組」や「金にモノを言わす悪徳商人」などが出てくる。剣心は、平和の世になった明治の人々を守るために彼等を倒そうとする。
そーして物語の終盤になって剣心は悪徳商人の館で1人の用心棒と対峙する。悪徳商人に魂を売ってしまったその用心棒に剣心が「なぜ魂を売った」と咎めるんだけれど、そこで用心棒は一言。
「食っていけないからだよ」
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私、このセリフがとっても好きです。結局、劇中では尺の問題もあって、この「平和な時代ではサムライは食っていけない」という視点は注目されずに用心棒は倒されちゃうんだけど。
この「食っていけないから」という言葉は、人が魂を売るのには妥当だよね。誰も行き倒れになるよりも魂を売って生き長らえるほうを選ぶでしょ。
大して強い言葉を使っていないのに、この言葉にはあらゆる倫理観・価値観などを吹き飛ばすほどの強さがあると私は感じる。
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今の日本では、よっぽどのことがない限り、「食っていけない」なんてことにはならないんだけれど、「食っていけない」と思ってしまう環境下に陥ることは多くある。
色んな生活のなかで「これこそが食っていくということだ」という刷り込みはいっぱい行われる。
・これまで学んできたことを活かさないと食っていけないんじゃないか。
・今の会社をクビになったら食っていけないんじゃないか。
・大手に雇われないと食っていけないんじゃないか。
・定時に帰ってばかりいたら食っていけないんじゃないか。
とか、まぁ色々とね。そして行き倒れるよりはマシだから、と泣き寝入りをしてしまう…。と。そんな思考回路になっちゃっている人は少なくないんじゃないかな。
そんな「食っていけないかも」って思ってる人にたいして「いけるって☆」だけ言ってても、そりゃ何も心動かないよね。
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中には、「そんなんじゃ食っていけないだろ!(私は食っていけないんだから)」と他人にも求めてしまう人だっている。「これまで学んできたわけでもないのに、食っていけるわけないだろ、ナメんなよ」みたいな感じで。
これが色々と相互しあってて、とっても住みづらい世界が形成されちゃっているんじゃないかな。
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つまるところ、私がぶつかっている壁の一つは、上記の「食っていけないからだよ」っていう思考の鎖を解きほぐせないところだ。
今の私程度では、ブログで何を叫んだって、この「食っていけないからだよ」をブチ壊すほどの価値はないんだよね。
だから、多角的に示さないといけない。そんなことを考える金曜日の夜でした。
ばいびー☆