「それじゃ社会で生きていけない」ってのは、目指す市場が違うだけってハナシ。
まいど、いおりんでござい。
私は正直、仕事に対してはとってもワガママだ。そのことに関しては下記のエントリでとっても顕著に出てきている。
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最近でも、「もっとクオリティの高い仕事をしましょう」とよく言っている。ただ「根を詰めて頑張る」じゃなくて、しっかりと価値を提供して、その対価を頂くよーな仕事をしましょ、って。
こーいうこと言っていると「そんなことじゃ生きていけないよ?」とよく言われる。
例えば「対価を有耶無耶にされるとか完全にアホ」ってことを(やさしく)主張すると「それじゃー社会で生きていけない」と言われた。フリーランスになった時も、「フリーなんかじゃ社会で通用しなくなる」と言われた。残業なんてしたくない、って言ったときも言われた。
自分の夢や野望を言った時、「社会で生きていけない」とか言われると、私は「あぁ、この人には何を言っても無駄だ」と考えてしまいます。
この発言をされた時点で、私と相手との間で生きている世界が違い過ぎるからです。私が「できる」と確信していることを、相手は「できない」と確信しているわけで。もはや同じ市場にいないのです。
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私の仕事におけるワガママというのは、ただ単に「価値があるものを提供して、対価を頂く」という原則に基づいた仕事がしたい、というだけです。
私は「誰もが価値を求めて創造し合い、提供し合うことで世の中がHAPPYになっていく」って言う市場原理が大好きなので、その世界で生きていきたい、ってだけなのだ。
ところがぎっちょん。
世の中には「価値を提供しても対価が頂けない世界」とか「価値を提供しなくても対価が頂ける世界」とかが当たり前のように存在してる。不当に価値を奪って抱え込もうとしてる人たちがトーゼンのように存在しているわけ。
それが回り回って私を苦しめたし、私の友人たちを苦しめている。私はそれが許せないんだよ。
だからこそ、私こそは「価値があるものを提供して、対価を頂く」という基本原則を決して裏切りたくない。私自身が「利益を追い求めるあまり、価値を不当に奪う」なんてことをしちゃいけないし、不当に価値を奪われるような事態には対抗していきたい。
これは私のフリーランス人生における野望であり原則なのでございます。
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そもそも、少なくとも資本主義の日本においては、「価値があるものを提供して対価を頂く」という市場原理こそが社会でしょ?それなのに、それを求めたら「社会じゃ生きていけない」なんて言われるわけ。意味分からないよね。
筋の通ったHAPPYな市場で生きていきたいよね。
ばいびー☆