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Stay Gold, Ponyboy.

いおりんがフリーランスになるまでのハナシ。Vol.2 〜大炎上案件時代〜

まいど、いおりんでござい〜。最近なんか雨が多くてやんなっちゃうね。雨が降っても濡れない軍服とか売ってないかな。格安で。

さて。前回の続きです。前回は「就職してから順調に働いていた時代」を書きましたネ。

前回: いおりんがフリーランスになるまでのハナシ。Vol.1 〜ベンチャー企業に入社して〜 | イオリン手記

2013年10月。イオリンは部署異動をした。

第1章では面白くない開発をしていた、と書いたけれど、実際のところ10月当初はそーいうわけでもなかった。はじめて「お客さんとの打ち合わせ」というモノに参加することになったし、もともと「開発だけで生きていくつもりはない」と考えていたから、それまでと違う仕事ができるのは楽しかった。

イオリンは「刺激」と「変化」が大好きなのだ。

2014年の2月くらいまでは、忙しい生活をしつつも、それを楽しめていた。その時はまだ炎上というほどでもなかったし、大変な案件だったけれど大変なりになんとか終わらせようとしていた。

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それが2014年4月くらいになると「え?これ終わるの?本当に」という状態になっていた。

プロジェクトの一部を任されていた人間がトンズラしてその分の仕事が全部自分に振りかかってきたり、その上、さらに自分より上の立場にいた先輩が辞めることになり、その引き継ぎも中途半端で、あとから「いやいや聞いてないですけどソレ」みたいなことが山ほど出てきた。

お客さんから「そーいえばこの件、どうなってます?」って言われて、私は適当な受け答えをしながら内心で「何それ、知らないんですけど」っていう。会議のあとに部長に聞いてみたら「えっ、○○から引き継がれてないの?」と言われて2人でズーンとする、みたいな。

元々アプリケーション開発の一部補佐として入ったのに、いつの間にかシステム開発のメイン担当者になり、質も担保することになり、更にシステム運用まで担当することになっていた。もちろん、それまで一切やったことがない分野をいくつもいくつも担当していて、「いやいや知らねーよ」っていう状態だった。

案件全体のマネジメントを担当していた部長サンはいて矢面に立ってくれてはいたけど、このお方も一長一短だった。この部長サンは癖があって面白いしハートめっちゃ強くて頼りになるんだけれど、「無茶な開発要件は切り捨てる」っていう発想がなかなか出来ない方で、結構な頻度で無茶な開発を通してきちゃって仕事が増えちゃって…みたいな。

(まぁ、既にお客さんは半ば怒っているなかで、「それはできない」とばっかり言えないってことも勿論理解してた。無理なものは無理なんだけどネ。)

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その頃には社内でも「イオリンが関わっている案件は一番ヤバイ」っていう噂が流れていた。そんな状況を見かねて部長が応援を用意してくれることもあったけれど、その応援への情報共有に時間が割かれて逆効果なことも多かった。勿論、超有能な方が来てくれてメチャメチャ助かったことも多々ありましたヨ。

それでも無茶を通して動かしている案件だからミスも多く発生して稼働時間は全く減らないし、結局自分でやるしかねーんだな、と自分を追いつめながら仕事をしていた。

残業時間100時間なんて超えて当たり前で、2ヶ月くらい200時間を超えてた。

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んで、6月か7月くらいに開発系を管理する役員に「部長に何度言っても現状変わらず。このままだと私は死にます」みたいなメールを投げた。休日出勤中だったけど、本当に「私なんでこんな頑張ってんだろ」って思って、思わず投げたら、その役員から「俺から言っとくから帰っていいぞ」って言われた。

この言葉には本当、涙が出るくらい救われた記憶がある。言いすぎかもしれないけれど、毎日絶望しながら生きていたからね。「私、休んでもいいの?」って思ったね。

あとで聞いたら部長サン、ものっすごく怒られたらしい。取締役も結構ヤンチャな気質で、部長サンが「イオリンのためを思ってあえて厳しく…」的なことを言ったら取締役が「お前死ねよ!」って言ったとか(それもどーなの?笑)。全て噂なので真実は知らないけど、面白いのでそーいうことにしてる。

とりあえず7月中はイオリン残業禁止みたいな命令が出た。「できんのかよ!」と思った記憶はあるけど、しばらく私のタスクが完全に管理されて、無茶がある場合は部長が、場合によっては先の取締役サンが先方と交渉して私のタスクが目に見えて減っていった。

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それでも案件自体は炎上してるので、結局8月〜9月には元に戻っていた。当たり前だ。残業時間の200時間を0にして正常に動くようなら最初から案件は炎上しない。

そっからは死に物狂いで仕事をして、2014年10月1日にとりあえずのリリースまでこじつけた。正直、9月のことはあんまり記憶にない。毎日開発して、チーム総出でテストして、先方に見せたら要望がまた出てきて…の連続だった記憶はある。

ちなみに、部長サンは本当に頑張ってくれていたと思う。というか、周りは「イオリンがこんなことになったのはこの部長さんのせいだ」みたいに扱っている人が多いんだけれど、私はこの部長サンも頑張っていたのを知っていたため、彼を悪者扱いする風潮には賛同できない。

重ねて、私はこの部長サンが面白くって好きなのだ。今でも誘われることがあれば乗りたいと思っているよ。この場で言ってもしゃーないけど。

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そして10月1日から「緊急対応のために土日出勤する代わりに、平日は週2日休んでいい」と言われた。そこからはソコソコ平和な毎日になったんだけど、正常な生活に戻ってはじめて、私に正常な思考回路が戻ってきた。土日出勤中に「辞めよう」と決意した。

かなり走ったけれど、以上が私の会社員時代です。もっと詳しく言おうと思えば言えるんだけど、不幸自慢みたいになるから振り返りとしてはこの辺の粒度が妥当かと思う。

次回は、「過労の最中、イオリンの心中は如何に!?」に焦点をあてよーかと思いまっする!

ばいびー☆

当時は「休日が楽しみ」という酷い生活をしていたイオリン。
当時は「休日が楽しみ」という酷い生活をしていたイオリン。

続き: いおりんがフリーランスになるまでのハナシ。Vol.3 〜人の心は過労になると〜 | イオリン手記

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