表現方法としてのプログラミングのハナシ。
まいど、いおりんでございます。
今日は下記を読んでの発見をつらつらと。
(多分、これを読み進められる人ってIT業界にどっぷり漬かったことのある人だけだと思うので、多くの人は読まなくていいよ。)
参考: あなたやあなたの子供がプログラミングすることができると、どんなに素晴らしいことが起きるか – shi3zの長文日記
ざっくり言えば、「プログラミングができると、こんな素晴らしい世界を体験できる」みたいなことを説明している記事だ。
この中で、「表現としてのプログラミング」というのが挙げられている。明言はされていないけど、下記のような記載がある。
彼はどうやって金を手にしているか。
なにか世の中におかしなこと、不思議なこと、なぜか誰もやってないことがあるととりあえずそれを自分でプログラミングしてしまう。そしてそれを誰か他の会社に売ったり、そうでなくても自分でサービスを立ち上げたりして小銭を稼いでいる。
(中略)
自分の考えを表明するため、自分の考えを確かめるためにプログラムを書いて、それを公開しているだけだ。ついでに小銭を稼いで酒を飲みに行く程度である。
AppleWatchを選ぶサービスというのは彼なりのジョークなのだ。プログラマーはジョークさえプログラミングするのである。
これ、プログラミングの使い方としてとっても面白いなーと感じた。多分この「プログラミングによる表現」っていうのを自然と出来る人こそ、生粋のプログラマとして生きられるんじゃないかな。
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私たちは色んな表現方法を持っている。文字を書いたり音楽を創ったり絵を描いたり踊ったり。そーいった創作活動を通じて、自分の人生観や伝えたいこと、感動や世界を表現している。
ただ、私たちは物事を伝えるときには基本的に「言葉」を使う。なぜなら、言葉は多くの人々が扱うことができるし、誰でも簡単に発することができるからだ。もし、「女性にもっと活躍する場所を与えるべきだ」と伝えたいとき、多くの人は「女性にもっと活躍する場所を与えるべきだ」と発言する。
ところがぎっちょん。
実は多くの人間は言葉なんかに心を揺さぶられない。多くの名言と呼ばれるモノは「誰がorどんな組織が発したか」ということこそが重要なのであって、どこの馬の骨とも知らない人が言った正論なんて誰も気に留めない。
だから、私のような馬の骨は表現方法を工夫しないといけない。ブログをするなら、エントリのタイトルを凝ったり、数を書きためて説得力を持たせたり、それっぽいデザインに改良したり、SNSで拡散したり、あらかじめターゲットを絞ったり。
自分なりの表現方法を考えて工夫しないと人には伝わらない。
そして、その表現方法の一つとして「プログラミング」は活用できる、と。
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その「プログラミングによる表現方法」の最たるものが、ゲームと呼ばれるモノだと思う。例えば、Kingdom Heartsっていうゲームでは、「心とは何か」と言うコンセプトをもとにストーリーが形作られている。どの作品でもストーリーを通して「心とは何か」を問いかけてくる。
参考: KINGDOM HEARTS PORTAL SITE | SQUARE ENIX
また、このブログでもちょいちょい取り上げているMetal Gear Solidシリーズも、作品によってテーマがあるし、一貫して「反戦反核」を伝えている。それぞれ当てているスポットは違えど、メッセージ性の強いゲームとなっている。
関連: METAL GEAR SOLID 5 GROUND ZEROSを通して考える平和のハナシ。 | イオリン手記
私は「表現方法としてのゲーム」というのが好きで、思えば高校〜大学一年生くらいの頃までは、「自分もゲームを通して何かを表現して伝えたい」なんて考えてゲーム開発者を目指していた。諸事情でやめるんだけど、それはまた別のハナシで。
そんな私が結局IT業界に入り、気付けば「プログラミングで何かを表現できる人間」になっている。ふと今まで忘れていたけど、私もWebサービスなりiOSアプリなりを作ることで表現することができるんだなー、と。
冒頭の記事を見て思った。
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最近、ブログを書きながら「ブログで伝えられることなんてほんっとーに少ないよなー」と考えていた。私が知らない人のブログを読んでいるときだって、ほとんど「自分の認識を再確認する」くらいだ。行動を変えられたり、強い学びを得られたりするブログなんて片手で数えられるくらいしかない。
関連: ブログや自己啓発本などの言葉で自分の行動を変えるには、自分の過去の体験と結びつけないといけない、ってハナシ。 | イオリン手記
私自身、このブログで期待していることは「誰かの考えるキッカケになれば」とかであって、「誰かの考えを改めさせよう」なんて全く思っていない。文章にそんな力を持たせるんだったら四六時中文章について考え続けないといけない。私にそこまでの覚悟はない。
でも、私は幸い、プログラミングができる。デザインもちょっぴりできる。それなら、プログラミングを通して何かを表現できるかもしれない。私は元来、プログラミングがそこまで好きじゃないんだけれど、「表現としてのプログラミング」なら好きになれるかもしれない。モノ作りは好きだからネ。
ちょっと私の展望が少し見えた気がしたとさ。ちゃんちゃん。
ばいびー☆