お金儲けは、人間社会における問題解決の手法なんだ、ってハナシ。

まいど、いおりんでござい。夏が終わった…と思ってたら残暑が続きそうでほんとイヤですね。

さて。

現在、私の周りには、「会社を辞めて何かを成し遂げてやるぞ!」みたいな人が多い。実際に会社を辞めている人や、会社を辞めようとしている人がとっても多い。

そんな人の中にいると、時々出会う概念が「金儲けなんてどうでもいい」というモノだ。

私はこの「金儲けなんてどうでもいい」と言っているような人とは対極に位置する人間だ。むしろ「正当な範囲でなら、どんどんお金儲けしたほうがいい」と思っている。いおりんは、「仕事なんて出来る限りしたくなーい」と思っているけれど、お金儲けのシステム自体は大好きなのだ。

〜〜〜〜

インターネットでは「嫌儲」などという言葉が存在する。これは「人が儲けることを嫌う思想」のことなんだけれど、例えれば「無料だったサービスが有料化する」とか「ブログが広告収入を得る」とか、そーいうことを嫌う人たちが、インターネット上では少なからず存在する。

参考: 嫌儲 – Wikipedia

他にも、「金儲けをするよりも、もっと大切なことあるだろ」みたいなことを考える人は少なくない。自然回帰・ヒッピー的思想を持つ人に多い考え方だ。彼等は、「お金なんて稼がなくても、人生が楽しければいい」と考えて、会社で一生懸命働いてお金を稼いでいる人に「それで楽しいの?」とか言っちゃう。

そーいう人は、「お金」の本質を見ていない。お金とは「問題解決の対価」である、ということをまるで理解できていない。

〜〜〜〜

例えばお金(にあたるモノ)がなかった時代。人は何をしていたかと言うと、全てのことは「物々交換」だったわけ。

あなたが例えばリンゴが欲しかった場合、あなたは直接リンゴを持っている人のところに行って、物々交換の交渉をしなければいけなかった。リンゴを持っている人のところに行って、彼の問題を解決することでリンゴを頂くしかなかった。あなたがリンゴの持ち主の問題を解決できなかった場合、あなたはリンゴを諦めるしかなかった。

それが、お金が生まれたことで、「50円でリンゴを売ります」という人が出てきた。そーすると、あなたはリンゴの持ち主の問題解決ではなく、あなたができる範囲の問題解決で50円さえ稼げばOK、という社会になった。

つまるところ、お金が「問題解決の共通対価」として存在しているおかげで、人々は自分ができる範囲の問題解決さえしていれば、自分のあらゆる問題をお金によって解決できるようになったわけ。

そして人は、「多くの人にとって問題解決になり得ることで、多くのお金を稼ごう」と考えて、進化と発展を繰り返してきた、ってなハナシなんだよね。

人はお金によって発展し、様々な問題を解決してきたし、これからだってそーするだろう。

〜〜〜〜

こーいうことを考えると、お金は決してどーでもよくなんかないです。人間がここまで発展できたのは、少なからずお金のおかげ。

ハッキリ言って、「お金なんてどーでも良い」と言っている人より、お金儲けに勤しんでいる人のほうが社会にとってはずーっと有益です。少なくとも今の人間社会は、みんながお金を稼ぎ、みんながお金を使い、経済を活発化させることで、色んな問題を解決してるんだから。

人助けをしたいんだったら、変に被災地や貧困者のもとに行って「何かできることはないですか」とか言うよりも、お金稼ぎをして、そのお金をどかっと届けたほうがずーっと良い。

(但し、アフリカなどのように、お金送り込んでも権力者に吸い取られてしまって意味がなくなってしまうことがあるのも事実です。でも、だからといってアフリカの貧困層にとってお金がどーでもいいかと言うと、そーじゃない)

〜〜〜〜

もちろん、お金儲けには悪い側面だってある。お金を稼ぐことに固執するあまり、自分自身に新たな問題を発生させてしまう人は多い。その究極が、「仕事が辛くて自殺してしまう人」だ。また、問題を作り出したり、問題があるように見せかけたりすることで、不当にお金を稼ぐ人もいる(いわゆる、詐欺)。

ただ、そーいう悪い側面にばっかり目を向けて、「お金なんて稼ぎすぎないほうがいいんだ」なんて考え方は、さすがにお金についての思考が浅いんじゃないか、と私は思ってしまいます。

人間が行える問題解決の方法として、お金稼ぎが存在するってことを理解して、どんどん稼いで、どんどん使って、どんどん解決してこーぜ。きっと楽しーぞ。

ばいびー。

いおりんは、お金によって得られた進化が大好き。

いおりんは、お金によって得られた進化が大好き。