自分はどーいう状態において自由を感じられるのか、ってハナシ。

まいど、いおりんでござい。たまに東京の伊勢丹とか行くと、質の高い接客に触れられて楽しい。私は田舎に住みたい人間だけれど、都会の質の高いサービスには定期的に触れておきたい。

さて。

以前、私はとある、「田舎を知ろう」みたいなイベントに参加したことがある。京都移住計画さんが東京で実施したイベントだった。

参考: 京都移住計画

そこのワークショップで、「田舎におけるメリット、デメリットをみんなで共有しよう」みたいなハナシがあった。私は5人くらいのグループでメリットとデメリットを言い合った。

その時にとっても印象的だったのが、「私の感じる田舎と、他の人が感じる田舎って全然違うんだな!」ってこと。

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例えば、私は田舎に対して「自由」なイメージを抱いている。

それは、「何もしないこと」が都会に比べて許されていると思うから。

東京にいると、上昇志向の強い人間、夢を必死で追っている人間、成長至上主義の人間で溢れている。さすがは日本の中心・世界のメトロポリスの一角を担うだけあって、そこにはギラギラした人間が毎日のように、「有意義なイベント」を開催している。

そーすると、私みたいなぐーたら人間はとっても疲れる。何かに追い立てられたように、「休日は美術館に行かなきゃ!」とか「異業種交流イベントに行かなきゃ!」みたいな気にさせられる。家で一日中テレビゲームをしたり、漫画を読んだり、映画を観たりすることに背徳感を覚えてしまいがちになる。

一方、地元の奈良や和歌山では、そんな人たちはほとんどいない。そもそも「イベント」なんてほとんど開催されてない。時間はのんびり流れているし、ふわーっと一日中散歩して過ごすことが許される。何でもないような街並みと綺麗な夕焼けを見てぼーっとすることが、気軽に出来る。

田舎の人たちはあんまり成長とか意識しないし、ただ毎日、良い生活をしようとしているだけの人が多い。それが私に「自由な生き方」を許容してくれる。

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ところがぎっちょん。

他の人の中には、「田舎は不自由」というイメージを抱いている人が多かった。

それは、「お店が少ない」とか「病院が少ない」とかそーいう、割とリアリティにあふれている理由だった。モノが少ないので欲しいモノが買いづらかったり、娯楽施設等も少ない。東京だと映画もカラオケもジムトレーニングもスポッチャもボルダリングだって、歩きor電車だけで行ける。

田舎は、それらの施設が少ない上に、公共の乗り物が不便だから、車を持たないと生きていけない。家で飲み会するにも、車でお酒を買いに行かないといけない。不便。

都会のほうが、自由に行動できるという。

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私なんかは言われてはじめて「た、確かに!!」と思ったけれど、それでも「田舎のほうが自由」という考え方は変わっていない。

結局、自分が「どういう条件に自由を感じるか」という点に個人差がある、ってハナシです。

ある人は「便利=自由」と考える。だから、色んな施設が密集していたり移動手段が豊富だったり、緊急のときもすぐに対応できたりする都会のほうが自由だと考える。

でも、私は「心的束縛要素がない=自由」と考える。「○○できる」けど、「○○したくならない」ような場所よりも、「○○しづらい」けど「○○したくなる」ような場所のほうが自由だと思える。私はそんな人間なのです。

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自分がどーいう環境において自由に振る舞えるのか、ということは考えた方が良いよ。ざっくり「自分は過去、どんな状態において“自由”でいられたか」というのを考えてみよう。

  • 田舎にいたとき?
  • 都会にいたとき?
  • お金の心配が要らなかったとき?
  • 小学生のころ?
  • 大学生のころ?
  • 恋人がいたころ?
  • 独り身だったころ?
  • 海外に旅行にいってたころ?

  • それはなぜ?

ここを突き詰めていくと、自分が自由に生きられるために、何をしたらいいのかが分かるかもしれないね。「便利」だけが自由だと思うと、ちょっと損かもよ。

さ〜て、温泉行ってくるか!

ばいびー☆

縁側のある家は、自由だ。

縁側のある家は、自由だ。