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Stay Gold, Ponyboy.

仕事の対価は生み出した価値を基準にすべきなんだけど、ってハナシ。

まいど、いおりんでござい。

以前、「仕事の価値は手を動かした時間だけに生まれるワケじゃないよ」というハナシをしました。よーするに、「手を動かす前に色々考えていたり、その人の経験や知識などが総結集されていたりするんだよ」というハナシだね。

関連: 「手を動かしている時間」だけにしか価値を感じれない世界のハナシ。

で、まーこれって結局、「コスト視点」での価値の計り方なんだよね。「こんだけコストを費やしたんだから、それに見合うだけの価値があるのだ」という視点。だから、「どこまでをコストとして捉えているのか」という考え方、見え方の違いで差が生まれるんだよね。

でも、本来は、「作業によって生まれる価値はどのくらいなのか」が基準になるべきだよね。つまるところ、「この作業には3000円かかったから、6000円を!」ではなくて、「この作業をすることによって、2万円の価値が生まれるから(2万円で買いたいと思う人がいるから)そのうち1万円を!」ってなるのが普通じゃない?

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この生まれる価値は「どの時点での?」っていうところがもっとも難しくて。例えば絵画は、いくら10万円という価値をつけようが、実際に売り場に出で売れてみないと生み出した価値はわからない。値崩れして2万円くらいでしか売れなかったら、その絵画が生み出した貨幣価値は2万円でしかない。

でも、「市場に出て、売れて見ないと業務への対価が支払えない」なんて契約は逆に非現実すぎる。業務をしたあとに「いやー、実際市場に出るのは1年後ですね」とかオハナシにならないし、同じく「いやー、売れませんでしたわ」とか言われてもオハナシにならない。

仕事に対する対価は、仕事が完了した時点では少なくとも確定していたほうが嬉しいし、もっと言えば仕事が成約した時点で確定していたほうが嬉しい。実際、世の中の多くの仕事は、仕事が成約した時点で支払われる対価が確定しているよね。

言わば、「生み出す価値」が分からない状態から、価値を計れと言われているもんです(イオリンが“見積り”を嫌うのはココが理由)。

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さて、じゃあこの「生み出す(と思われる)価値」を計るためにどーいうことが社会では行われているか。

それは、発注側と受注側が互いに「この仕事の価値ってこんなモンでしょ」と思う対価を懐に控えつつ、その2つの折衷案を探る、という作業です。

これって、片方が「仕事に対する背景知識」がないとかなり難しいものなんだよね。

例えばピカソの美術展示会に行って、「えぇっ?これが1500万?私でも描けそうだけど!?」みたいなことを思うような絵に出会うことってあるでしょ?(ピカソさんごめんなさい。)でも、実際には、すごい背景知識とか取材とか紆余曲折があったりして、凄まじい価値を生んだりしているわけです。でも、知識のない私たちには、それが理解できない。

最近流行りの「デザイン」だってそうで。2020年の東京オリンピックのロゴだって、はたから見たら簡単に出来そうでしょ?結果だけ見れば、誰でも30分〜1時間で作れそうでしょ。だから、発注側は「これ、数万円で出来るんじゃない?」見たいな対価を用意しちゃう。でも、実際は多くの背景知識・技術等と多くの時間を費やさないとあれは出てこない。

(追記: このロゴは色々な面倒ごとのせいで却下されちゃったね。クオリティ高かったのに、大衆は怖いね。)

簡単に見えるでしょ?実際はそーじゃない。 引用元: 東京2020大会エンブレム>>TOKYO 2020
簡単に見えるでしょ?実際はそーじゃない。
引用元: 東京2020大会エンブレム>>TOKYO 2020

このギャップを埋めるのって本当に難しい。そもそも、発注側はその背景知識とかを持っていないから頼んでいるわけで、それなのに「仕事に対する背景知識がないと」なんて言うのも、ちょっとオカしいじゃん。

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フリーランスで仕事していると、この部分がすごい困る。でも、一番良いのは多分、「仕事をする側が金額を提示して、その理由をしっかり説明する」っていう、ありきたりな答えになる。

そして、それで納得してもらえなければ、諦めてもらうしかないのかもしれない(ビジネスならば)。

変に値切られてそれに対応すると、「なんだ、安くできんじゃん(高く見積もってたんじゃん)」みたいな認識を持たれちゃう。自分だけならまだしも、それが同じ業界のほかの人にも影響するかもしれない。そーなると誰も幸せにならないよね。

厳しいことを言えば、仕事した結果、価値が生まれなかったのは、発注した側がうまく価値を生み出せなかったからで、受注する側が生み出した価値とは別だ、とも言えるよね。言わば、提供してくれた価値を台無しにしたんじゃないの、って。

「友達のお手伝い」ならまだしも、ビジネスなんだったら、割とシビアに対応するのも必要なのかな、と思う今日この頃でした。

ばいびー☆

コーラを飲みながら散歩って、なんか夏っぽくて良かった。
コーラを飲みながら散歩って、なんか夏っぽくて良かった。

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