リーガルハイ2に学ぶ「醜さを愛せ」のハナシ。

まいど、いおりんでござい。少々雨が続くようで、いよいよ秋への入り口が見えてきましたね。

さて。

ちょっと前に、「リーガルハイ」というドラマがありましたね。私は1作目は見ていなくて、リーガルハイ2を見ていたんだけど、このドラマが本当に好きだった。

リーガルハイは、無敵で自信家の弁護士・古美門研介と正義感の強いペーペー弁護士の黛真知子が繰り広げるコメディタッチ裁判ドラマ。古美門を堺雅人さんが、黛を新垣結衣さんが演じる。

リーガルハイ2では更に、「勝敗ではなく、双方を幸せに、Win-Winにすること」を目指す弁護士・羽生晴樹(演じるは岡田将生さん)もドラマに加わり、まー色んなドラマがあった。時にコメディ・時にマジメに、という感じでバランスも良く、秀逸なドラマだったと思う。

引用元: http://www.fujitv.co.jp/legal-high/index.html

左から、古美門(堺雅人)、黛(新垣結衣)、羽生(岡田将生)
引用元: http://www.fujitv.co.jp/legal-high/index.html

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リーガルハイ2では、古美門弁護士と羽生弁護士が闘うことが多いんだけど、勝ちにこだわる古美門弁護士に比べて羽生弁護士のほうが、清廉潔白であるかのように描かれる。羽生弁護士は、Win-Winになる裁判を続けることで、みんなが幸せになる社会を作ろうとする。

ただ、回を追うごとに羽生弁護士のベールが剥がされる。「みんなが幸せになれるように導く、ってことはつまり【民衆は放っておくと愚かな道を歩んでしまうから、私が正そう】ってことでしょ」ってところを、古美門弁護士に見透かされるようになる。

(自然にあふれた村を世界財産に認定するために発展を抑止すべきか、という裁判で、世界財産になることを放棄する結果になって)

古美門「崇高な理念など欲望の前では無力だ。所詮人間は欲望の生き物なのだよ。それは否定する生き方などできはしないし、その欲望こそが文明を進化させてきた。

古美門「これからも進化し続け決して後戻りはしない!燃料廃棄物処理場を作り、高速道路を作り、ショッピングモールができ、森が減り、希少種がいなくなり、いずれどこにでもある普通の町になるだろう。そして失った昔を思って嘆くだろう。

古美門「だがみんなそうしたいんだよ!素晴らしいじゃないか!

羽生「……。…愚かだ。

古美門「それが人間だ。

古美門弁護士の哲学は、とってもリアリティあふれる。綺麗事はバッサリ切り捨てて、現実論で話してくれる。

綺麗事を言うことは誰にだってできる。「自然を守るべきだ」「男女差別は撤廃すべきだ」「ブサイクもイケメンと同様に扱われるべきだ」「浮気は許されるべきではない」等々、いくらでも口からこぼれさせることができるよね。

でも、人間ってそんな綺麗で高尚な生き物じゃない。それは長〜い人間の歴史が証明しているし、今だって周りを見れば簡単に分かる。人間はわがままで、欲深い生き物なんです。人間はみーんな、自分のために生きてる。自分がやりたいように生きてる。

傍から見れば綺麗事を守っている人も、実際は本人がやりたいからやっているに過ぎない。自然を守る活動をしている人は、自分が自然が大好きだからやっているとか、自分が高尚な人間であると思われたいからやっているとか、まぁそんなところだよね。

心の底から便利さを犠牲にしてまで自然を守るような人間は希少種…いや、奇行種と言ってもいいかも。

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さらには羽生弁護士の「自分が正しい行いをすることで、間違った行動に走る人たちを救おう」という独善的な発想にも、古美門さんはメスをいれていく。

古美門「ワガママで勝手でずるくて汚くて醜い、底辺のゴミクズ共。それこそが我々人間だ。

羽生「だから…だから、それを導こうと!

古美門「それが違うんだよ。まずそこから降りろ。自分も底辺の醜いゴミクズの一匹であることを自覚しろ。

ちょっとデスノートに似ているよね。デスノートの主人公、ライト(キラ)は「正しい倫理観を持った自分が犯罪者を裁くことで世の中を正しい方向に導こう」という発想でしょ。武器は違えど、やろうとしていることと、その方針は一緒だよね。

結局、「自分は正しい人間・善人(のはず)だ」という発想自体が歪みまくっているんだよね。

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私は、自分のことをまさしく「底辺の醜いゴミクズの一匹である」と思っている。私は間違うし、駄目なこともしちゃうし、ワガママなことをしちゃう。そーいう人間。

でも、これは、「人間は(私は)醜くてもいいんだ」というハナシとは別で。むしろ、「醜い人間が、ちょっとかっこつけるために綺麗なことをする」っていうのがものすごい好き。例えば、女性の前だからとかっこつけて重いモノを持ってあげるのとか。それで「オレ、やるじゃん」って思うのがすごい好き。

私にとって、「醜さを愛する」ということは、つまり「自分は醜いと認めることで、そこからの成長を楽しむ」ってことなんだよね。

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自分が駄目な行いをしちゃって、それで凄まじく落ち込んじゃう人はよくいるけれど、そーいう人って結局、「自分はもっと良い人のはず」「自分はもっと高尚な人間のはず」って思っているんだよね。

スタートの時点で自分に高いハードルを課しちゃってる。それってすごい窮屈で大変な心境状況。

まずは、自分の醜さと自覚して、向き合って、その上で醜さを愛しましょーよ。自分のスタート地点を「醜い」に置けば、日々をちょっとした工夫だけで幸せになれる。「私、ダメ人間のくせにやるじゃん」って思える。どう?

ばいびー☆

関連: 自分はまずオオバカモノである、という前提からスタートせよ、ってハナシ。

少年時代遊んだ場所を散歩した。

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