大層な夢ばかりが夢じゃない、ってハナシ。

まいど、いおりんでござい。夏が本格化していて、私が住んでいる鎌倉はもう、湿度と熱気が凄まじい。泣きそう。泣きながら泥になって海に流れて地中海に流れ着きたい。そんな日々です。

皆さん、夢はありますか?

夢というと、みんな大層なモノをイメージするよね。「武道館でライブをする」「社長になる」「自分の店を持つ」とか。人生を賭けて挑み、そして大成するもの、が「夢」である、って思いがちでしょ。「夢=大志」っていうイメージがあるじゃん。

私にとって夢はちょっと違うんだよね。というのも、私には夢がいっぱいあるから。ひとつひとつに命を賭けてる場合じゃないんだよ。やりたいことが多すぎて、「10年かけてなんとか1個叶ったね」だと足りなすぎるんだよね。

  • フリーとして生きていたい。
  • 本を出してみたい。
  • 講演をしてみたい。
  • 宿屋を開きたい。
  • ラジオに出てみたい。
  • トーク番組をやってみたい。
  • 家をDIY的に自分で建てたい。
  • みんなの好きなことを発表する「プレゼン大会」を開きたい。
  • カラオケ大会に出たい(青空の下で唄いたい)。
  • 馬を飼いたい。
  • 馬を連れて日本一周とかしてみたい。
  • 雑誌を作りたい。
  • フリーペーパーを作りたい。
  • カフェをやってみたい。
  • 写真の本か展示会を開きたい。
  • 新しいビジネスモデルを考えたい。

とかとか、こんな感じで次から次へと出てきちゃうんだよね。全部やりたいから、「ラジオをやるために他を犠牲にする!」とかは出来ない。私は「日々、全力で幸せを享受しながら、隙があれば叶えられそうな夢を差し込む」っていう感じなんだよね。

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大層な夢もいおりんはあります。それは、「私の大好きな人たちが逃げられる場所を作りたい」というもの。

私、いおりんは今でこそふんわりナンチャッテ人生を送っているけれど、元々は会社員生活が耐えられずに精神科に行くハメになってドロップアウトした人間です。決して順風満帆で今の人生を送っているわけじゃなくって。それなりにツラ〜イ日々を送っていて、その結果、逃げ出したんだよね。

なんでクスリキメてまで行かなあかんねん。

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私は結果的に「逃げられて良かった」と思ってる。逃げていなかったらきっと、社会でズタズタになるまで使い潰されていたかもしれないから。それに、胃をキリキリさせながら生きていくのは私には出来ないと思うからね。収入は減ったし貯金もジリジリ減ってきてはいるんだけど、今の方がずーっと幸せだし、ほんと逃げられて良かった。

でも、私の大好きな友達らの中には、私と同じようにツライ人生を歩んでいる人はいっぱいいるんだよね。全員、とは言わないけどハナシを聞くたびに仕事の愚痴が溢れ出てきて、「仕事を辞めたい」って口からこぼれてくる人を、私はいくつも知っている。きっと今の世の中、そーいう不幸で溢れていると思う。

でも、彼ら彼女らは逃げられない。

  • 使命感・責任感: 「任せられた仕事はこなさなければならない。」
  • 背徳感・罪悪感: 「私が逃げたら、他の人に迷惑がかかる。」
  • 金銭的側面: 「逃げたら借金が返せない or 遊べなくなる or 家族が路頭に迷う。」
  • 名誉的側面: 「逃げたら、親や周りからバカにされる or 同情される。」
  • ストック的側面: 「今まで築き上げてきた実績がなくなってしまう。」

などなど。逃げられない理由はいっぱいある。それらは、彼ら彼女らの人生を雁字搦めにして、今歩いている道から降りれなくしちゃう。私なんかの「助言」なんかじゃその鎖は解かれない。

だから私は、私の人生を賭けて、「逃げても生きていけるんだよ」と言える人生を送りたいんだよね。そしてあわよくば、「私のところに逃げてきなよ」って言いたい。贅沢な暮らしはできないかもしれないけど、日々の幸せを享受できる暮らしをさせてあげられるような、そーいう枠を作りたいんだよ。

上のやりたいことリストの中にあるいくつかのこと…例えば宿屋を開く、なんてのは、そーいう「逃げて来れる場所作り」っていう夢が反映されたモノだね。

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これはいわゆる「大志」と呼ばれる類の夢だよね。でも私はこれを「他の夢は自分の人生を犠牲にしてやりたい」とは思わない。むしろ、私がやりたいことをやることがこの大志に繋がる気もするし、私の生き様を通して実現出来ればな、と思っている。

そんな、「この夢のために全てを犠牲にする」ばっかりが夢じゃなくてもいーじゃん。

ばいびー☆

毎日の夕日が綺麗だと思える自分で居続けたい。

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