見ず知らずの他人の幸せより、自分や自分の大好きな人の幸せの方がずーっと大事ってハナシ。
まいど、いおりんでござい。
映画「ウォール街」を見ました。「ウォール街」は、その名の通りアメリカの金融街・ウォール街を舞台にして金融マンを描く金融映画です。
証券マンとしていまいち成功しきれないバド・フォックスが、ウォール街のカリスマとも言える投資家ゴードン・ゲッコーと手を組んでアレやコレやしてお金儲けしながらも、「これでいーのか」と考える。そんな金融映画です。
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日本人の感覚からしたら、手放しに受け入れられるモノじゃあないよね。
この映画、アメリカではかなり有名な映画で、「映画好きならとりあえず見てるよね」くらいの位置づけらしい。さらに、登場人物である「ゴードン・ゲッコー」もアメリカではかなり人気で、このゴードン・ゲッコーに憧れて投資家になった人も少なからず存在するんだとか。
確かに、ゴードン・ゲッコーはカッコイイ。けれども、日本人の感覚だと「彼を目指そう」とは中々ならないよね。
ゲッコーは、超冷徹な投資家で、お金儲けのためならば手段を選ばない。自分に対して価値を提供しない人には全く興味がない。それが正しいことだということを全く疑っていない。「強欲は善だ」「金は眠らんぞ」「お金のこと以外はゴタクだ」等のセリフは、日本人の感覚からしたら、手放しに受け入れられるモノじゃあないよね。
実際、この「ウォール街」を作った監督さんも、ゴードン・ゲッコーを悪役として据えて、行き過ぎた資本主義は身を滅ぼす、的なことを伝えたかったらしい。
けれどもそのゴードン・ゲッコーが人気を博して、演じたマイケル・ダグラス氏は主演男優賞をとっちゃうんだから、資本主義の国・アメリカらしいよね。
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さて。
いおりんは、スローライフ応援者なんだけども、同じくらい資本主義・市場主義が大好き。だから、ゴードン・ゲッコーのような人は割とすんなり理解できちゃうんだよね。「強欲は善」っていうのはその通りだと考えるし、お金儲けのために知らない人が不幸になっても構わない、という考え方も理解はできる。
それは、私の考え方の根本に「私の人生において、他人より“この私”のほうが圧倒的に重要」というものがあるからだと思う。
結局、「私がそーしたいから」に集約される。
有名な賭博漫画「カイジ」に、超大金持ちの財閥の会長が出てくる。非人道的な資産家で、主人公の敵として出てくるんだけど、私はそんな会長の発言の端々にも「あっ、ここは理解できる」なんて部分があった。一番、共感が強かったのは下記(うろ覚えなので、間違っている部分があるかもしれません)。
(目の前で骨折して倒れている人の足を叩きながら)
*「折れた足をいじられると、彼は痛いが、わしは痛まない。
これ、私はスゴイ共感できちゃう。私の考え方の根本には、非人道的かもしれないけど、「他人が多少どうなっても、私自身の幸せと関係なければ別に良い」というモノがある。これは私の行動にとーっても大きく影響している。
私、いおりんがなぜ友人を蹴落としたり、騙したりしないのかと言うと、それは上記とはまた別の美学があるから。「精一杯かっこつけて生きよう」とか「しっかり筋の通ったことをやろう」「友人が不幸になるのは嫌だ」とか、そーいう“別の根本”があるからなんだよね。それも結局、「私がそーしたいから」に集約される。
だから、私にとってあまりに関係がない人、私にとってどーでも良い人の身に不幸が起きても、私の心はあまり動かない。私の大好きな人たちが幸せならそれでいいから。もし、全く姿も知らない人の折れた足を叩くことで、私の大好きな友人知人恋人らの命が助かるなら、私はその折れた足を叩くと思う。
誤解が出てきそうなことを言ったので補足しておくけど、「自分も他人もみんなハッピーならそれがサイコー」なのは当然です。そーじゃなくて、「自分の幸せと他人の幸せのどっちが大事か言うと、圧倒的に自分の幸せが大事」と考えている、ってハナシ。
私がゲッコーと同じ立場なら、見ず知らずの人を切って、自分とその周りの大切な人に価値を提供するかも。
「ウォール街」劇中で、ゲッコーはボロボロの会社を買収して新経営者を据える場面がある。当初は「建て直すぞ」と経営者に言っていたが、しばらくして経営者に相談せずに売り飛ばしてしまって、経営者に激怒される。
「会社を建て直すんじゃなかったのか、なんで会社を売った、裏切り者!」
そこでゲッコーはこう返す。
「そうしないと会社が壊れると分かったからだ。お前(経営者)には多額の金が入り、お前の親父は一生働かなくて良い。それでいーだろう」
ゲッコーは、自分とその家族等の大切な人が無事なら、見ず知らずの人がどーなろーと関係ない。だから、相手の経営者さんが、自分とは他人のはずの従業員の生活さえ心配することが理解できない。
このやり取りを見て、ゲッコーほどじゃないにしても、私がゲッコーと同じ立場なら、経営者さんよりもゲッコーを支持するかもしれない。多くの人たちを思うばかりに共倒れしてしまうより、見ず知らずの人を切って、自分とその周りの大切な人に価値を提供する。その方が、私自身は幸せだから(私なら、スジを通すために事前に経営者さんに伝えるだろうけど)。
私の根本は、慈悲とか道徳とかじゃなくて、まさしく「強欲」なんじゃあないかな。慈悲だの道徳だの優しさだのは、結果だね。
自分は清く正しい人間であるべきだ、と考えている人はなんか信用できない。
他人に対しても、私は強欲と美学を持っている人が大好き。「私はこーしたいんだ!」って思ってる人のほうが分かりやすいし、一緒にいて疲れない。
逆に、「私は欲望がありません」と清廉潔白、聖人のように振る舞っていて、自分は清く正しい人間であるべきだ、と考えている人はなんか信用できない。人間ってそんな清い存在じゃないし、強欲であり、自分勝手な美学を持っているところにこそ、人間らしさ、美しさが潜んでいる気がするからね。
みんな、もっと欲深く生きよう。自分がかっこいいと思うことをやろう。
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実は映画「ウォール街」には次回作が既に出ている。「ウォールストリート」といって、私はそっちを先に(学生時代に)見てたんだよね 1。
「ウォールストリート」では、バド・フォックスは引退しているんだけど、ゴードン・ゲッコーはバッチリ登場します。ただ、こちらでは、ゴードン・ゲッコーの「金儲け市場主義」はほんのちょっと、緩くなってます。バドのような才気溢れる証券マン・ジェイコブにアドバイスをする、現役引退者って感じ。
いおりんはこの2作目も好きです(1作目と2作目は25年近く間があいてる!)。
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ばいびー☆
Notes:
- タイトルがややこしすぎるよね。。邦題がややこしいだけで、英語ではウォール街は「Wall Street」、ウォールストリートが「Wall Street: Money NeverSleeps」。邦題をつけた人はなんでこんなややこしくしたんだろ。 ↩