身体を動かす快感についてのハナシ。
まいど、いおりんでござい。今日のハナシは感覚的すぎて万人受けしないと思う(笑)。
前の日曜日にハーフマラソンを走ってまいりました。シェアハウス仲間と走りました。
走り切れば、つま恋で育てたキャベツが1玉もらえるというマラソン。
私、このマラソンに「替え玉」として参加したのです。というか参加するはずだった方が事情により棄権することになっちゃって。それで、「いおりん、枠余ってるから走る?」って参加者らに言われて、二つ返事で「よし、走ろう」って言ったんだよね。
大会の3日前に。無茶しました。
4人で走ったんだけど、みんな一応完走できました。よかった!私も含めて走ったメンツはみんな割とナメてたな…今度は練習しよーな…ということを実感したね。
場所は群馬県のつま恋っていう場所だったんだけど、もう群馬が誇る雄大な自然のなかを走るのがほんと気持ち良い。サイコーだったね。最後のほうは辛かったけど、その景色を見るだけで笑けてくるような、そんな圧倒的な自然を見たね。
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私って人間は身体を動かすことが大好きで、走ること自体も快感なんだよね。疲れないわけじゃなくて、ハーフマラソンも途中何度か歩いたし、最後1kmなんか吐きそうになりながら走った。でも、それもどこか気持ち良いというか。疲れることもまた、ちょっと楽しいんだよね。改めて書くとヘンタイみたいだね。
この身体を動かす快感って、生命本来の喜びというか、根源から来る幸せな気がするんだよね。「ご飯がおいしい、幸せ!」とか「爽やかな風を浴びながら寝ころぶ、幸せ!」とか、そんな類いの幸せだと思うんだよ。
ただ、この身体を動かす快感って、「ある程度、身体を動かす下地」をつくっておかないと味わえないと思う。
どーいうことかっていうと、普段からある程度身体を動かすとか、ご飯をバランス良くいっぱい食べておくとか、そーやって体力を維持しておかないと、身体を動かす喜びに辿り着く前に、疲れてイヤになっちゃう。
体力が落ちきった状態で身体を動かすと、なんかもう「とにかくしんどい」みたいな状態になっちゃうと思うんだよね。あんまり運動したくない人って、「快感を感じるレベルに到達するまえに死ぬほどイヤになっちゃう」みたいな状態なんじゃないかな。
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身体を動かすことの楽しさって、「疲れるのがなんか楽しい」ってタイプの他に、「上手く身体を動すことが楽しい」ってのがあると私は思う。無駄なく身体を動かす面白さ。
例えば、走るときも、「腕をどう振ったらいいか」「膝はどのくらい曲げればいいか」「足の着地の衝撃は逃がすべきか」とかを試行錯誤したり、教本で読んだ知識を試したりして、無駄なく綺麗に動かせたときはすごい気持ち良い。
マラソンとはまた違うけど、街中を走ったり飛び回ったりするフリーランニング・パルクールという競技の技術もすごい面白い。「どうすれば前進スピードを落とすことなく、無駄なく障害物を越えられるか」みたいな技術がいっぱいあって、上手く身体を動かせたときはすごい気持ちいいよ。「なるほど!」って唸るときもある。
この「上手く身体を動かせたとき楽しい」っていうのも、ある程度、身体の下地がないと出来ないことだと思うんだよね。筋肉もそうだし、柔軟性とかもちょっとはないと、上手く身体を動かせないからね。
体重だって適切なポイントを外さないようにしないといけない。統計的な「身長別適性体重」なんかじゃなくて、自分の人生の経験上で、「この体重のときの私は、すごい動ける」みたいなポイントあるでしょ。常にその近辺に体重を抑えておきたよね(いおりんは72kgが一番動ける。今は+3kgくらいなので、もうちょい絞りたい)。
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なんというか、「運動は苦手」とか「できるだけ動きたくない」っていう人は別に珍しくないけど、そーいう方々はこの「身体を動かす楽しさ」を体験できる身体にないからなのかなぁ、とぼんやり思う。そして、私も最低限、身体を維持しておかないと、その楽しさを味わえなくなるのかもしれない。
それはちょっともったいよね、と思ういおりんでした。
ばいびー☆